2013年5月26日日曜日

【読了】Sir Arthur Conan Doyle, Sherlock Homes and Duke's Son (OBW1)

やさしい英語の本、通算44冊目、
Oxford Bookworms Stage1の9冊目、

イギリスの小説家、
アーサー・コナン・ドイル(1859.5-1930.7)の
第3短編集『シャーロック・ホームズの生還』(1905)所収の
短編「プライアリ・スクール」(『ストランド』1904年2月号)を読みました。


Sir Arthur Conan Doyle,
Sherlock Homes and Duke's Son

Retold by Jennifer Bassett
(Oxford Bookworms Stage1)
2008年刊(5,800語)


わずか6,000字にも満たないのですが、
私にはちょうど良い塩梅で、

知的なホームズの世界を、
それなりに楽しむことができました。

ホームズ独特の魅力も何となくつかめて来て、
いずれ原著でも読んでみたいなと思うようになって来ました。


翻訳はいくつか読み比べた結果、

私には、日暮まさみち氏による簡略版がいちばん楽しめました。

『名探偵ホームズ 六つのナポレオン像』
(講談社青い鳥文庫、平成23年10月)
 ※「プライアリ学校誘拐事件」


大人向けの全訳版も、同じ日暮雅通氏のものが一番読みやすかったです。

『シャーロック・ホームズの生還』
(光文社文庫、平成18年10月)
 ※「プライアリ・スクール」


ちなみに馴染みの延原謙氏の全訳も、
格調の高い優れた文体で、『赤毛のアン』の村岡花子訳に似た位置にあると思います。
時間に余裕があれば、こちらをじっくり味わうのも面白いでしょう。

『シャーロック・ホームズの帰還』
(新潮文庫、昭和28年4月。平成22年1月、改版)
 ※「プライアリ学校」


※44冊目。計350,309語

※Wikipediaの
「シャーロック・ホームズ」
「シャーロック・ホームズの帰還」の各項目を参照。

2013年5月12日日曜日

【読了】塩野七生 『ローマ人の物語16 パクス・ロマーナ(下)』


塩野七生 著
『ローマ人の物語16 パクス・ロマーナ[下]』
(新潮文庫、平成16年11月。初出は新潮社、平成9年7月)


文庫3冊に及ぶ
ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス
(Augustusu BC63-AD14 在位BC27-AD14)
の評伝を読み終えました。

カエサル(Caesar BC100-44)には文庫6冊を費やしていたので
分量はその半分ですが、

戦いに明け暮れたカエサルの跡を受け、
カエサルの建てた計画をうまく受け継いで、
平和なローマを建設していくという、

重大だけれど地道な努力のつみかさねが、
歴史書として扱いにくいことは明白なので、

かなり上手くまとめられていたと思います。

カエサル伝のときよりはペースが落ちましたが、
飽きることなく、楽しんで読み進めることができました。

さて次は、歴代皇帝について語り継ぐ巻へと進むようです。

【読了】トウェイン著 『トム・ソーヤの冒険』(土屋京子 訳)



マーク・トウェイン著/土屋京子 訳
『トム・ソーヤの冒険』(光文社古典新訳文庫、平成24年6月)

ようやく読み終えました。

土屋京子氏の翻訳を選んだのは、
最初の数頁を読んで、波長が合ったことが一番ですが、

「マーク・トウェインの文章は、「ゴシック」なのである。
 比喩や形容詞が大仰で、饒舌。
 場面展開が芝居がかっていて、持って回った表現が多い。
 現代の書き手ならば動詞や形容詞で「ほぐして」書くところを、
 硬質な名詞を多用して示唆的・抽象的に表現する。」

「トウェインの文章は、いわばゴシック建築の大聖堂のように重厚で古めかしい。
 そして、そのゴシック的なところが魅力なのである。」
 (本書536・537頁)

という土屋氏の指摘に興味をもったのも一因です。

そうした文体ゆえか、今回、
全訳に近いものをいくつか手に取ってみましたが、
意外に読みにくいものが多く、

訳者のみなさんの苦労の跡がしのばれました。


文体への相性は人それぞれでしょうが、

ほんの少し堅めの、
しかし独特の魅力のある文章で、

これまでよりも一段深いところで、
『トム・ソーヤ』の世界を楽しめたと思います。

お薦めです。

願わくは続編『ハックルベリー・フィンの冒険』のほうも、
土屋氏の翻訳でぜひ読んでみたいと思っております。


2013年5月1日水曜日

【Note】森信三著 『修身教授録』 その1


森信三著
『修身教授録―現代に甦る人間学の要諦』
(致知出版社、平成元年3月)

 ※「本書は、大阪天王寺師範学校(現・大阪教育大学)本科での森信三先生の講義をまとめた『修身教授録』(全五巻、昭和14年刊)の中から、昭和12年3月~昭和14年3月までの二年間の講義を改めて編集したもの」だそうです。(巻末解題より)

私なりに本書との対話を進めていきたいと思います。

第1講「学年始めの挨拶」を読み終わっての感想です。


「われわれはここに、
 縁あってこれから一年間を共に学ぶことになったわけですが、
 これはもちろん諸君らの希望によることでもなければ、
 また私の方から申し出たことでもなく、
 すべては学校という一つの大きな組織の上から決まった事柄であります。」12頁

 ※そう言われてしまうと身も蓋もないのですが、

  確かに、人生における出会いとは、
  偶然によるところがほとんどすべてであって、

  自らの希望にしたがって、
  自分で理想とする先生、生徒、上司、部下、先輩、後輩、友人、恋人が、
  人生の要所要所で必ず現れて来る、わけでないことは、

  早めに知っておくべきかもしれません。

  親兄弟、祖父母を選べないのに比べれば、
  ある程度、選択の余地が残されていることも事実ですが、

  人生における出会いの大部分は、
  自らが事前に抱く理想とは何ら関係なく、
  偶然の縁によって結びつけられるものだ、と。



「われわれ人間というものは、
 すべて自分に対して必然的に与えられた事柄については、
 そこに好悪の感情を交えないで、
 素直にこれを受け入れるところに、
 心の根本態度が確立すると思うのであります。

 否、われわれは、
 かく自己に対して必然的に与えられた事柄については、
 ひとり好悪の感情をもって対しないのみか、
 さらに一歩をすすめて、
 これを「天命]として謹んでお受けするということが大切だと思うのです。

 同時に、かくして初めてわれわれは、
 真に絶対的態度に立つことができると思うのです。」12・13頁

 ※若いうちに、
  親もとにで育まれた「理想」が、
  社会に出てそのまま通用することは稀でしょう。

  理想と現実のはざまで
  苦しみ、思い悩むのは
  若さゆえの特権ともいえますが、

  どこかで自らの現実と向き合って、その中で、
  自ら生きていく術を見出していかなければならないのも、
  確かなことだと思います。

  これから社会に出ていく学生に対して、
  理想だけで世の中は回っていないこと、

  目の前には、
  そのまま肯定的に受け入れるほかない
  現実が横たわっていることを、

  記憶のかたすみに焼きつけておくことは、
  とても大切なことだと思いました。

  社会に出る前の
  大人としての心構えを学ぶのが、
  「修身」なのだと思います。



「大よそわが身に降りかかる事柄は、
 すべてこれを天の命として慎んでお受けするということが、
 われわれにとっては最善の人生態度と思うわけです。

 ですからこの根本の一点に心の腰のすわらない間は、
 人間も真に確立したとは言えないと思うわけです。

 したがってここにわれわれの修養の根本目標があると共に、
 また真の人間生活は、
 ここからして出発すると考えているのです。」13頁

 ※ありのままの現実を、
  肯定的に受け入れるところから、
  大人としての第一歩がはじまるのだ、

  とは、
  大人になってみれば自明なことでしょう。

  現実から目をそらしてみた夢は、
  砂上の楼閣のようなところがあって、

  現実に自分が置かれている立場を、
  冷静に受け入れるところから導かれる目標とは、

  自ずから違ったものになることは当然でしょう。

  でもしかし、
  若さゆえに広い視野を持てず、
  がむしゃらに理想に向かって突き進むのは、
  ある面、当然のことでもあるわけで、

  あまり若いうちから悟りきって、
  目の前の現実と妥協し続けているのはどうかと思います。

  「修身」を学ぶには、
  時期が大切ということでしょうか。

【読了】吉川英治著『宮本武蔵(三)』(新潮文庫)


吉川英治著
『宮本武蔵(三)』
(新潮文庫、平成25年4月)

 ※全編の初出は
  『朝日新聞』昭和10年(1935)8月23日から
   昭和14年(1939)7月11日まで。

さて順調に、
『宮本武蔵』の第3巻を読み終えました。

このあたりは、
前に読んだときにはもう挫折していたので、
初めて読むことになりますが、

吉川英治のとびきりの文章に導かれながら、
楽しんで読み進めることができました。

武蔵の成長をともに味わう感覚は、
過ぎ去りし自らの青春時代を省みつつ、

十代二十代のときに、
『宮本武蔵』に出会えなかったことを残念に思いました。

月1冊、ちょうどいいペースで進んでおります。
もう第4巻が出るころでしょうか。