2013年4月29日月曜日

【読了】ユゴー著 『レ・ミゼラブル(三)』(佐藤朔訳)

フランスの作家
ヴィクトル・ユゴー(1802.2-1885.5)が
43歳から60歳(1845-1862)にかけて、
17年間を費やして執筆した大作

『レ・ミゼラブル』の第三部「マリユス」を読み終えました。


ヴィクトル・ユゴー著/佐藤朔訳
『レ・ミゼラブル(三)』
(新潮文庫、改版、平成24年11月。昭和42年8月)

 ※第三部 マリユス
  第一章 パリの微粒子的研究
  第二章 大ブルジョワ
  第三章 祖父と孫
  第四章 ABCの友
  第五章 不幸のすぐれた点
  第六章 二つの星の出会い
  第七章 パトロン・ミネット
  第八章 腹黒い貧乏人

第3冊目は、
想像していたよりやっかいでした。

このあたりは、
編訳版でもさほど取られていなかったからかもしれませんが、

なんの前置きもなく、
ジャン・バルジャンと関係のない、
さほど面白みのないマリユスの半生が、
淡々と描き出されていくだけだったので、

じきに飽きが来て、
ページを繰る速度もにぶっていました。


しかし後半から、
少女コゼットを介して、
ジャン・バルジャンの人生と、
マリユスの人生とが交錯するようになると、
グッと面白みを増し、

とくに終末部に向けての畳みかける展開は、
やられた!と思わせられるものがありました。

時折り現れるユゴーの政治的な主張は、
執筆当時、フランス市民に対して
強いインパクトのある文章だったのかもしれませんが、

現在、革命を是としない
日本の一国民として読み返すと、
学生運動時代の人たちの熱に浮かされた文章を読んでいるような、
多少面映い感じがしました。

抄訳版で、
ユゴーのそうした政治的な主張が
ほとんどカットされているのも肯けます。

第4、5部とどんな展開が待っているのでしょうか。


※Wikipediaの「ヴィクトル・ユーゴー」
「レ・ミゼラブル」を参照。

【読了】A・デュマ著 『三銃士』(藤本ひとみ 編訳)

フランスの作家
アレクサンドル・デュマ(1802.7-1870.12)の
代表作『三銃士』を、

藤本ひとみ氏の編訳(講談社青い鳥文庫)で読みました。


アレクサンドル・デュマ著/藤本ひとみ編訳
『三銃士』(講談社青い鳥文庫、平成21年11月)
※編訳『〈痛快 世界の冒険文学〉三銃士』
     (講談社、平成11年6月)をもとに一部改稿。

『三銃士』はフランス語の作品なのであまり興味がなかったのですが、

やさしい英語版でも読めることを知り、
英語で読む前に、日本語でざっとあらすじがわかるものはないか調べてみました。

その中で、
藤本ひとみ氏の編訳(講談社青い鳥文庫)は、
押さえるべきあら筋はひと通り押さえた上で、
とてもわかりやすく書き下ろされていて、楽しむことができました。

藤本氏には、大人向けに再編しなおした
『新・三銃士(少年編)―ダルタニャンとミラディ』(講談社文庫、平成20年5月)
『新・三銃士(青年編)―ダルタニャンとミラディ』(講談社文庫、平成20年5月)
もありますが、こちらは未見です。


あら筋を辿ってみると、これは明らかに、
わくわくドキドキ心躍らせて、楽しむべき小説でした。

吉川英治の『宮本武蔵』を少し軽めにしたような感じなので、
あまり古めかしい翻訳だと、読む気が失せてしまいます。

『三銃士』のみの全訳はいくつか出ていますが、
「ダルタニャン物語」全11巻の翻訳を完成された
鈴木力衛(すずきりきえ)氏によるものが、まずは定番というべきでしょう。




鈴木力衛訳
『ダルタニャン物語1友を選ばば三銃士』
『ダルタニャン物語2妖婦ミレディーの秘密』
 ※初出、講談社、昭和43年。
  講談社文庫、昭和50年1月。
  ブッキング、平成13年3月。
  復刊ドットコム、新装版、平成23年5月。

最新版は1冊2,625円とお高いので、
古本で講談社文庫版を見つけて取り寄せたところ、
文字が小さくて目が疲れてしまうレベルでしたので、

一つ前の平成13年時の再販のものを手に入れました。
2段組みですが、活字は私にもぎりぎり大丈夫なレベルでした。

表装もいい感じでしたので、
次はこちらで全訳を読んでいこうと思っています。

2013年4月27日土曜日

【読了】Mark Twain, The Adventures of Tom Sawyer (OBW1)

やさしい英語の本、通算43冊目、
Oxford Bookworms Stage1の8冊目、

アメリカ合衆国の作家
マーク・トウェイン(1835.11-1910.4)の
代表作『トムソーヤの冒険』を読みました。
トウェインが41歳(1876年)のときに発表された作品です。



Mark Twain
The Adventures of Tom Sawyer

Retold by Jennifer Bassett
(Oxford Bookworms Stage1)
2008年刊(5,825語)


やさしい英語での
『トム・ソーヤーの冒険』は、

2011年9月にMacmillan ReadersのBeginner Level(8200語)
2012年7月にPenguin ReadersのLevel1(4003語)

をそれぞれ読んできたので、もう3冊目になります。

ストーリーが変わるわけではありませんが、
短く刈り込んであるので、

読んだ印象はどれも異なり、
それなりに楽しむことができました。

もし1冊選ぶなら、
今回のが1番読みやすかったような気がしますが、
英語の練習に、3つとも読んでしまえば良いと思います。

3度もくり返して、
さすがにあら筋は頭に入りましたので、
いまは土屋京子氏の全訳(光文社古典新訳文庫)に挑戦中です。



じきに読み終わりますので、
そしたらまた報告します。


※43冊目。計344,509語

※Wikipediaの「マーク・トウェイン」「トム・ソーヤーの冒険」の項目を参照。

2013年4月9日火曜日

【読了】チャーチル著 『第二次世界大戦1』(佐藤亮一 訳)

イギリスの政治家
サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル
(Sir Winston Leonard Spencer - Churchill 1874.11-1965.1)
『第二次世界大戦』(河出文庫)第1巻を読みました。


W・S・チャーチル著/佐藤亮一 訳
『第二次世界大戦1』
(河出文庫、昭和58年12月。新装版、平成13年7月)

本書は、
1948年から1953年にかけて全6冊で刊行された
『第二次世界大戦 The Second World War 』の、
要約版(1959年 全1冊)の翻訳です。


要約版(全1冊)も大著なので、

 第1部 不幸への一里塚(1919年-1940年5月10日)
 第2部 単独(1940年5月10日-1941年6月22日)
 第3部 大同盟(1941年12月7日 以降)
 第4部 勝利と悲劇(1943年-1945年)

の4部に分かれています。
この第1部に当たるのが河出文庫版の第1巻です。

原書全6冊版のほうは、
毎日新聞社(昭和24年5月-昭和30年10月)から
全24巻で刊行されていたようですが、
まだ見たことはありません。

近現代史はそれなりに勉強しているつもりだったのですが、
イギリスの立場からみると知らないことばかりで、
読み通すのは多少骨が折れました。

とはいえ、
第二次世界大戦の現場をあずかった
イギリスの首相チャーチルの著書ですから、
知らないなりに一度読み通しておくのは有益でしょう。

第1巻の感想です。
個々の歴史的事実についてすら
初めて知ることがたくさんあったので、
何も語る資格はないのですが、

第一次大戦後のイギリスが、
「平和主義」=絶対善、
「戦争」=絶対悪とする空気につつまれていて、
独裁政権への対応が後手後手にまわっていた状況、

そしてもうこれ以上は、
イギリスそのものの存立が危なくなるまで、
チャーチルを権力の中枢から遠ざけていた状況は、
日本の現状と似たところもあり、
興味深かったです。


国民が、
現実を無視した「平和主義」に毒されやすく、
政治家もその意向を無視しえないのは、
日本に限ったことではないことを学びました。

しかしイギリスの場合、
一時は「平和主義」に流されたにせよ、
ここぞという場面で、チャーチルが再登板しうる下地は残されていたわけですから、
そこは日本との違いとしてよく認識しておきたいと思いました。


国家の安全保障に対する
チャーチルの考え方が示された文章を、
三つほど抜き出してみます。

▽1
「それでは、一体「安全保障」はどこにあったであろうか?

 安全保障なくしては、かち得たものすべては無価値に思われ、
 生活そのものさえも、勝利の喜びのただなかにありながら、
 ほとんど耐えがたいものであった。

 いかなる犠牲を払っても、いかなる手段をつくしても、
 そしてそれがいかにきびしく過酷であろうとも、
 絶対的に必要なものこそ「安全保障」であった。」

 (「第1章 勝者の愚行 1919~1929」16頁より)

 ※「安全保障」についての、基本的な考え方。

  ごく当たり前のことを言っているに過ぎないのですが、
  今の日本で、政治家が国会でこのような発言をしたら、
  とんでもない右翼政治家だ、とレッテルを貼られてしまうはずなので、
  この一節は心に残りました。


▽2
「政府は嵐に直面しなければなりません。
 政府はあらゆる不当な攻撃に遭遇しなければならないでありましょう。
 動機は誤り伝えられるでありましょう。
 また誹謗も受け、戦争屋と呼ばれるでありましょう。

 あらゆる種類の攻撃が、この国の多くの強力な、
 そして極端に騒ぎ立てる勢力によって浴びせられるでありましょう。
 政府はどちらにしても、それを受けることになりましょう。

 それならば、
 なぜわれわれに安全を与えるもののために
 戦わないのでありましょうか?

 それなら、
 なぜ空軍のための用意が十分でなければならないことを
 主張しないのでありますか?

 もしそれを断固として主張するならば、
 たとえいかに批判がきびしく、
 またいかにうるさい罵倒に直面しなければならないとしても、
 少なくとも次のような満足な結果が得られるでありましょう

 ―すなわち、イギリス政府はこれによって、
  あらゆる問題の中で、政府の最高の責任に対する、
  義務を果たしたということを感じることができるでありましょう。」

 (「第6章 崩れた空軍の均衡 1934~1935」108頁より)

 ※マスコミからの不当な攻撃は、
  どこの国でもありうることのようです。

  でもその中で、政府が「安全保障」の立場から、
  正論を断固として主張することがいかに大切なのかが、
  よく伝わる文章だと思います。

  国家の安全保障の問題は、
  政府がになうべき最高の義務であって、

  その責任を果たす立場にいるものが、
  あらゆる不当な攻撃、誹謗中傷に耐えなければならないのは、
  当然だとする気構えは、さすがチャーチルだと思いました。

  ただしこの言葉が、
  当時のイギリス国民、政府に受け入れられたわけでないことも、
  注意しておくべきだと思います。

  日本に限らず、
  正論はなかなか受け入れられないようです。


▽3
「もし流血を見ずして容易に勝ち得るときに
 正義のために戦わないならば、

 もし勝利が確実で
 余りにも犠牲が多くないときに戦わないならば、

 すべてが不利で生存も危いときにのみ
 戦わなければならない羽目に追い込まれるかもしれないのだ。

 あるいはそれ以上に悪い場合さえあるかもしれないのだ。

 しかし、勝利の希望がないときでも、
 戦わねばならないときがあるかもしれない。

 それは、奴隷として生き長らえるより、
 むしろ死を選ぶことがましなときである。」

 (「第15章 プラハ、アルバニアとポーランドの保障」247頁より)

 ※先が見通せたチャーチルにとって、

  すべてが不利な状況に追い込まれたあとで、
  戦わなければならなかったのは、
  ある意味不本意でもあったでしょう。

  最後の「勝利の希望がないときでも、
  戦わねばならないときがある」との言は、
  武士道の志となんら変わる所がないようにも感じました。