2012年2月29日水曜日

【紹介】ドストエフスキー 『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫 訳)



ドストエフスキー著、亀山郁夫 訳
『カラマーゾフの兄弟1~5』
(光文社古典新訳文庫、平成18年9・11月〈巻1・2〉、19年2・7月〈巻3、巻4・5〉)


今月は、更新が少なかったので、
以前読んで、感銘を受けた光文社古典新訳文庫から
『カラマーゾフの兄弟』を紹介します。

ブームの時期には少し遅れて、
前から気になっていた作品だったので、
読んでみました。

翻訳のおかげか、
それなりに引き込まれて、
最後まで読み通すことができました。

でもやはり、これを読んで、
ロシア文学のねちっこさは、
あまり好きになれないな、と思い、

他のドストエフスキーに
いろいろ手を出すことにはなりませんでした。

あくまで私の趣味の問題です。

ものすごい勢いのある小説であることは
よくわかりましたが、

内容については正直まだいろいろと謎が残りました。


また何となく、
読み返してみたくなっている自分もいますが、

大作ですので、
たぶんまだしばらく先のことになるでしょう。

2012年2月28日火曜日

【読了】Charles Dichens, A Christmas Carol (MMR Elmentary)

やさしい英語の本、
MMRシリーズの16冊目は、
イギリスの小説家チャールズ・ディケンズの名作
『クリスマス・キャロル』を読みました。



Charles Dichens
A Christmas Carol

Retold by F.H.Cornish
(Macmillan Readers Elmentary Lever)

2005年刊(11,369語)


『クリスマス・キャロル』の名は、
ディケンズの名を知るより前に知っていましたが、

いずれ読もうと思いながら、
読む機会がないまま今に至りましたので、

今回が初『クリスマス・キャロル』となりました。

とても感動しました。
ディケンズはこれで3冊目ですが、
ようやくファンになりました。
もっと色々読んでみたいと思います。


児童書として扱われていますが、

年をとってなお、
孤独に生きる老人が、
過去・現在・未来に思いを巡らす、
という視点は、

むしろ人生の半ば以降に、
独特の味わいのある物語だと思いました。

生きなおしは、
いつからだって出来るんだ、
というメッセージも、

人生半分ほど生きてきた今だからこそ、
共感をもって受け取ることができました。


翻訳は、
文庫本に限ると、
次のものがすぐに手に入るようです。

 村岡花子 訳(新潮文庫、新装版、平成23年12月。改版、昭和27年11月)
 村山英太郎 訳(岩波少年文庫、改版、昭和42年12月)
 中川敏 訳(集英社文庫、平成3年11月)
 脇明子 訳(岩波少年文庫、平成13年12月)
 こだまともこ訳(講談社青い鳥文庫、新装版、平成19年11月)
 池央耿 訳(光文社古典新訳文庫、平成18年11月)

 木村由利子 訳(集英社みらい文庫、平成23年11月)



教室には、
木村由利子さんの翻訳が置いてあります。


そういえば、今回はじめて、
MMR シリーズの Elementary レベルを読んでみました。

知らない単語が前より多く出てきましたが、

それなりに楽しみながら読めるレベルでしたので、
少しずつ一つ上のレベルにも手を出して行こうと思います。


※計16冊 計135,993語。

【読了】岡崎久彦 『幣原喜重郎とその時代』



岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』
(PHP文庫、平成15年7月)


岡崎久彦氏の日本近代外交史5部作、
第3部を読み終えました。

本書で扱われているのは、
明治44年(1911)の中国の辛亥革命から、
昭和7年(1932)の満州事変に至る、
20年間の歴史です。

主に大正時代から、
昭和前期に陸軍のタガが外れて
満州事変に至るまでの歴史を、

幣原喜重郎の外交を基軸に、
背景にもよく気を配りつつ、
バランスよい叙述が行われています。


戦後はじめて達成されたかに見える
デモクラシーのほぼすべての要素が、

大正デモクラシーにおいて
すでに達成されていたことは、
こうした丁寧な叙述によってこそ、
納得できるものだと思います。


中庸な歴史を描くことは困難な時代について、
稀にみるバランスの良い叙述が実現しています。

それは各章ごとに、
大学の先生方に意見をうかがい、
穏当なものに記述を修正していくという、

なかなか誰にもできることではない、
知力、忍耐力の賜物だと思いました。


ただそれだけに、
今の学会で研究されていないこと、
謎のままで残されていることについては、
そのままで残されておりました。


大正デモクラシーを高く評価すればするほど、
その延長線上に、どうして軍部の独走があり得たのか、
その説明が十分ではないように思われました。


また、
英米の自由主義思想と対峙する
ソ連の共産主義思想、全体主義思想に対する
立場はさほど批判的でなく、

キッシンジャーの著書『外交』を高く評価する所からも、
思想的には、若干脇が甘いように思われました。


しかしそうしたスタンスは、
まさに幣原喜重郎のそれとも似ております。

英米の政治的立場はよく理解しながら、
思想的になぜ自由主義でなければならないのか、
その大いなる価値の部分を、
国民に向けて語ろうとはしなかった。

一外交官にその責任を問うのは酷なのでしょうか。


ここから先の歴史は、
できれば直視したくない失敗の連続ですが、

再び正道から大きく踏み外そうとしている
最近の外交を見て、より一層、
歴史に学ぶ必要性を感じるのでした。

2012年2月23日木曜日

【読了】中川八洋 『脱原発のウソと犯罪』



中川八洋『脱原発のウソと犯罪』
(日新報道、平成24年2月)


最新刊、ざっと読み終えました。
詳しく読み直してから、また取り上げる予定ですが、
重要な本だと思うので、早めに紹介します。


原発事故については、はじめのうち
武田邦彦さんのブログをチエックしていたのですが、

途中から武田さんが、
原発反対に方針転換してしまったので、
科学者の態度としてどうかと思い、
チエックするのを止めました。

それ以降は忙しさから、勉強を中断しておりました。


本書を読んで、
一番ありがたかったのは、

放射線の被曝線量について、

武田さんが、
文部省が定めた基準値にもとづき、

年1ミリシーベルトをこえると危険だ、
と主張していたのに対して、

実際は
「年100ミリシーベルト以下」であれば
健康上、何ら問題ない
とする研究が
絶対多数であることを指摘された点です。

これは中川さんの新見解、
というわけではありませんが、
放射能については何も知らない身なので、
眼から鱗の、ありがたい指摘でした。


もちろん武田さんが、科学者として
年1ミリシーベルト説を取るのは自由なのですが、

年100ミリシーベルト以下なら大丈夫とする
先行研究がたくさんあることについて、
ほとんど言及されていないのは
不可解です。

科学者として不誠実だと思いました。


また本書では、

住民の強制避難が必要となる場合の、
放射線の被曝線量についても、

「表2 長期間継続累積の被曝線量と避難の必要/不必要」

としてまとめられています(21頁)。

 年間20ミリシーベルト以下
  →「全くもって不要」
 年間20ミリシーベルト以上 100ミリシーベルト以下
  →「不要」

 年間100ミリシーベルト以上 250ミリシーベルト以下
  →「自主避難 or 50歳以下に限る避難勧奨」
 年間250ミリシーベルト以上
  →「強制避難=『警戒区域』の設定」



この基準に従えば、

今回の原発事故では、
強制避難をともなう「避難区域」の設定は、
まったく必要なかったことになります。


幸いこれらの主張は、
中川さん以外にも少なくない数の研究者が
発言されていることなので、

強制避難をさせられた方々が、
できるだけすみやかに、元の故郷に帰って、
安心した生活を再開できるように、

次の政権を担う方々が、
より穏当な科学的基準値について
国民のコンセンサスを得られる努力を
していくべきだと思いました。


仮に、
無知にもとづくものであったとしても、

不必要な強制避難がなされたのであれば、
それは重大な人権侵害という他ありません。

現政権が、
自らの過ちを反省することはありえないので、
次の政権を担う方々にお願いしたいです。


以下に、中川氏が
論拠として掲げられた単著をあげておきます。
「原発事故」以前のものを太字にしました。
(雑誌論文は省略してあります。)


近藤宗平 著
『人は放射線になぜ弱いか 第3版』
(講談社ブルーバックス、平成10年12月)


近藤宗平 著
『低線量放射線の健康影響』
(近畿大学出版部、平成17年11月)



高田純 著
『世界の放射線被曝地調査』
(講談社ブルーバックス、平成14年1月)


高田純 著
『砂の砂漠とシルクロード観光のリスク
  ― NHKが放送しなかった桜蘭遺跡周辺の不都合な真実』
(医療科学社、平成21年9月)


高田純 著
『福島 嘘と真実 ― 東日本放射線衛生調査からの報告』
(医療科学社、平成23年7月)


中村仁信 著
『低量放射線は怖くない』
(遊タイム出版、平成23年6月)


T.D.ラッキー著、茂木弘道 訳
『放射能を怖がるな!』
(日新報道、平成23年8月)

※ラッキー博士の研究書は、
これまで以下の2冊が翻訳されているようです(栗木)。

 松平寛道 監訳、
 『放射線ホルミシス』(ソフトサイエンス社、平成2年)
 『放射線ホルミシス(2)』(ソフトサイエンス社、平成5年)



ウェード・アリソン著、峯村利哉 訳
『放射能と理性 ― なぜ「100ミリシーベルト」なのか』
(徳間書店、平成23年7月)


クロード・アレグレ著、中村栄三 監修、林昌宏 訳
『原発はほんとうに危険か? ― フランスからの提言』
(原書房、平成23年7月)


渡辺一夫・稲葉次郎 編
『放射能と人体 ― くらしの中の放射線』
(研成社、平成11年6月)



藤野薫 編、稲恭宏 著
『放射線ホルミシスの話 ― 大自然の仕組み』
(せせらぎ出版、平成16年5月)

2012年2月21日火曜日

【読了】シェイクスピア著/福田恆存訳 『マクベス』



ウィリアム・シェイクスピア著/福田恆存 訳
『マクベス』(新潮文庫、昭和44年8月。平成22年8月改版)
       ※福田訳の初出は、昭和36年11月。


先月の『ハムレット』に続いて、
福田恆存訳によるシェイクスピア全集、
『マクベス』を読みました。

国語として十分にこなれた
訳文のおかげで、手に汗握る展開に、
あっという間に読み終えていました。

何かを語れるほど、
何も知らないので、
まずは淡々と、読み進めていきます。

『ハムレット』も『マクベス』も重々しいお話しですが、

話としてわかりやすいのは、
『マクベス』の方だと思います。

でも、より深いな、
と感じたのは『ハムレット』の方です。

そんな比較論も、
もう少しいろんな作品を読むと、
楽しくなって来るでしょう。

2012年2月20日月曜日

【再読】中川八洋 『正統の哲学 異端の思想』 (総論)

中川氏の著書、
『正統の哲学 異端の思想』を再読中です。

第1章から3章までを総論、
第4章から10章までを各論としていますので、
まずは第3章まで、各章の要約とともに、
感想、論評等を記したいと思います。



中川八洋 著
『正統の哲学 異端の思想 ―「人権」「平等」「民主」の禍毒―』
(徳間書店、平成8年11月)



本書執筆の意図は「はじめに」に明らかです。

 平成3年(1991)12月に
 ソ連邦が崩壊したことによって、
 共産主義・全体主義思想の非なることが
 明らかになったにも関わらず、

 我々は、
 自由社会に深く入り込んだ
 全体主義思想の駆除作業を行なうことも、

 自由社会の維持と発展に不可欠な、
 哲学的支柱を再構築することもなかった。

 自由を抑圧する「異端の思想」たる
 全体主義の教義は、表現スタイルを変更するだけで、
 何度でも蘇生してくる悪性のウイルスのようなものであり、

 これに対抗するには、

 自由社会の基軸となる
 「正統の哲学」を改めて
 構築しなおす必要がある(要約=栗木)。

このように考えて執筆されたのが、本書です。

それから20年が過ぎて、
著者の見通しの正しかったことは
より一層明らかになりつつあります。

自由社会に生きる我々が、
哲学的な基軸を深く理解する上で、
いまだ本書をこえるものはなく、

本書のもつ意義は
ますます大きなものとなっていると思います。


▽第一章(近代がうんだ「反・近代」―全体主義の源流フランス革命)では、

欧米の近代において、

・英国の名誉革命(1688年)や
 米国の建国(1788年)から生まれた
 “自由を尊重する正しい自由主義(真正自由主義)”の流れと、

・フランス革命(1789年)から生まれた
 “自由を否定する狂ったデモクラシー(民主主義)”の流れの

二大潮流があることを踏まえて、

ソ連体制を生んだロシア革命(1917年)の源流が、
フランス革命にまでさかのぼることを明示しています。

さらに、
フランス革命の宗教的教義として、
「理性教」よ呼ぶべき理性に対する盲信があることを指摘し、

理性教の生みの親であるデカルト
その大成者であるルソー
その教義を受け継いだマルクスへと至る
「異端の思想」の流れを概観しています。


本章の意義は、西欧には、

「正統の哲学」にもとづく真正自由主義と
「異端の思想」にもとづく民主主義の

2つの大きな潮流があることを
指摘したところにあるでしょう。

学びはじめる際にまず必要なのは、
どちらに進めば良いのかがわかる、
大まかな座標軸です。

大筋さえ間違えなければ、
やがてしかるべき場所にたどりつけるものですが、
はじめの見通しを間違うと、
とんでもない方向へ進んでしまって、
後からの修正が効かなくなることは
よくあることです。

人間の考え方とは、
2,30代までに固まってしまうと、
あとは一生涯、修正できないものだと思います。


本章によって、
共産主義・全体主義の批判には、
マルクスやレーニンだけでなく、

フランス革命のイデオローグであるルソー、
さらに理性教の生みの親であるデカルトにまで
遡らなければならないことを教えていただき、
たいへん勉強になりました。

初めて読んだ時には、
もう大学を卒業していましたが、
その後、大きく道をそれることはなく、
有意義に勉強を進めることができました。



▽第二章(「進歩」という狂信)では、

まず、
ロシア革命(1917年)の経験を踏まえた
社会主義(共産主義)思想への批判として、

主にベルジャーエフ
それからハイエク、ラッセルを取り上げ、

「進歩の宗教」たる
社会主義(共産主義)思想についての
分析を行なっています。

その上で、
マルクス・レーニン主義へと至る、
社会主義(共産主義)思想の系譜について、

「マルクス・レーニン主義の根/幹/枝/花」(図-1)
「全体主義思想(狂信の哲学)の系譜」(図-2)


の二つの図にまとめています。


本章の意義は、
デカルト、ルソーから
マルクス・レーニン主義へと至る
全体主義(共産主義・社会主義)思想の
全体的なつながりについて概観してあるところでしょう。

こうした整理は、
他では意外に行なわれていないので、
たいへん役に立つと思います。

ベルジャーエフは以前に読んだ時は
私には深遠すぎて良く意味がつかめませんでした。
この機会に、また読んでみようと思っております。

また、ラッセルの著作について、
1950年代以降に「親ソ」一辺倒に染まるまでは
見るべきものもあって、
 『ロシア共産主義』(1920)
 『西洋哲学史』(1945)
の2書を挙げてあるのは参考になりました。
こちらは未読なので、読んでみようと思います。


▽第三章(真正自由主義〔伝統主義、保守主義〕)では、

まず、
西洋近代の政治思想には

 一、真正自由主義
   (英米では「保守主義」という。「小さな政府」派)
 二、左翼的自由主義
   (米国では「リベラリズム」という。「大きな政府」派)
 三、全体主義
   (社会主義・共産主義に代表される)

の三つの潮流があること、

全体主義は、
民衆参加型の政治制度たるデモクラシーから
しばしば生み出されること、

全体主義と真正自由主義とは
水と油の対立関係にあることなどを踏まえ、

日本の「保守」とは、
そのほとんどが左翼的自由主義者に他ならず、
真正自由主義者は、ほぼ壊滅状態であることを指摘しています。


その上で、

フランス革命に対する激越な批判を行い、
自由社会の生き残る正統な道筋を明示した、
真正自由主義(保守主義)の開祖たる
 エドマンド・バーク

20世紀が生んだ
真正自由主義の偉大な政治家たる
 ウインストン・チャーチル(英国首相)、
 マーガレット・サッチャー(英国首相)、
 ロナルド・レーガン(米国首相)、

真正自由主義の大思想家たる
 フリードリヒ・フォン・ハイエク

について各々その特色を整理しています。


さらに、

健全な思想家たる「正統の哲学者」27名と、
狂信の哲学を創造した「有害な思想家」27名を、

「『正統の哲学』者と『狂信の哲学』者」(表-2)

としてその主著とともに整理し、紹介しています。

本を読む時間は限られていますので、
悪書をできるだけ遠ざけ、
良書を読むのに時間を割こうと思えば、
こうした道しるべを整えて下さったことは
たいへん有益であり、実際とても役に立っております。

良書を見分けるポイントは、

(a) 人間の理性への過剰な信頼、
  「理性主義」「合理主義」への信仰。

(b) 人間が完全なものへと進歩すること、
  完全な人間社会が未来に出現することを確信する、
  「未来主義」「進歩主義」への信仰。
  過去への侮蔑・憎悪。

(c) 人間の平等と民衆への過剰な期待、
  「平等主義」への信仰。
  人民崇拝教。

の三点が排除されているかどうかです(71頁)。

慣れてくれば、
今現在活躍されている論客の方々にも
当てはめて考えることができるので、
たいへん役に立ちます。


私は、本章によって、
はじめてバークの重要性を知りました。

ただし『フランス革命の省察』は
執筆された時代背景等がわかっていないと
なかなか手強い書物のようで、
読みかけていったん挫折しております。
もう少し、自分の勉強が深まるまで取ってあります。

どちらかといえば、ハイエクの方が、
ほとんど同じ時代を生きた方なので、
わかりやすく、今の日本に当てはまるところも多く、
長いつきあいをして行きたいと思っております。

2012年2月13日月曜日

【読了】Alexandre Dumas, The Man in the Iron Mask (MMR Beginner)

MMRシリーズの15冊目は、
フランスの小説家アレクサンドル・デュマの作品から、
『鉄仮面』を読みました。



Alexandre Dumas
The Man in the Iron Mask

Retold by John Escott
(Macmillan Readers Beginner Lever)

2000年刊(9,055語)


デュマといえば『三銃士』なのでしょうが、
残念ながら、少年時代に読む機会を得ぬまま、
今に至りました。

『三銃士』には続編があり、
『鉄仮面』はその一部です。

全体は『ダルタニャン物語』としてまとめられ、

 第1部 『三銃士』(1844年)
 第2部 『二十年後』(1845年)
 第3部 『ブラジュロンヌ子爵』(1850年)

からなるそうです。

『鉄仮面』はこのうち第3部の、
最後の2冊分の内容を要約してあります。

最初、フランス語の人名の読み方がわからず、
少し苦労しましたが、冒険物の面白さは
それなりに味わうことができました。


全訳はかつて
 鈴木力衛 訳(講談社文庫、昭和50年)全11冊
が出ましたが、絶版になり、
現在はfukkan.comから単行本で復刊されているようです。
(実物は見ていません。)

小中学生の時に、
全11冊がどどーんと、
自宅の本棚にならんでいたなら、
夢中になって読んでいたのでしょうが、
現在2万数千円かけて、全巻揃えるのはちょっと考えます。

ちなみに、
小説『椿姫』で有名な、
同姓同名のアレクサンドル・デュマは彼の息子であり、

『三銃士』の方を大デュマ、
『椿姫』の方を小デュマと呼ぶことがある、

と先ほど知りました。

『三銃士』と『椿姫』が初めてつながりました。


※計15冊 計124,624語。