2011年10月1日土曜日

スマイルズ『向上心』第5章(下)



サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著、竹内均 訳
『向上心(CHARACTER)』
(三笠書房、知的生きかた文庫、2011年6月改訂新版)より。
※印は栗木によるコメントです。

第5章 よい人間関係をつくる


手本には何の意味もないのだろうか?
 いや、手本こそすべてである。
 われわれにとって手本は学校そのものであり、
 他から何一つ学べない。
』187
(バーク)

※人には手本が必要です。
 それもできるだけよい手本が必要です。
 子どもに手本は選べません。
 そこは親の責任です。
 あまり過敏になっても仕方がありませんが、
 今できるだけのことをしておく
 心がまえは持っておきたいと思います。


模倣はほとんど無意識のうちになされるものなので、
 その効果もはっきりした形ではわからない。
 しかし、まねした当人に与える影響はおそらく永遠に消えないだろう。

 人格が変わったことが歴然とわかるのは、
 感じやすい人がよほど印象的な人物にかかわった時だけである。

 しかしそれほど目立たない人物が、
 まわりに人に何らかの形で影響を与える場合もあり得るのだ。
 その人物が手本となって絶えず働きかけ、
 感受性やものの考え方、習慣などが確実に似かよってくるのである。
」187

※当人が気がつかないうちに、
 自分の意志で自由にふるまっているうちに、
 よいお手本をまねしているような状況がベストでしょうか。

 さまざまな素質の中で、
 すなおな心がとても大切なのは、
 結果としてよい模倣をつみかさねることができるからで、

 どれだけ才能に恵まれていても、
 すなおな心が失われた状態では、
 その人なりにどれだけ努力を重ねても、
 徒労に終わってしまうことが多いのです。


環境は人格の形成に大いに力がある。
 環境が、個人の成長期において
 もっともその影響力を発揮するというのは、
 自然の理にかなっている。
」189

※環境を整えてあげること。
 どうにもならない部分もありますが、
 できるかぎりのことはしておきたいものです。

 環境は、
 お金が無いとどうにもならないこともありますが、
 おそらく、
 愛情にあふれた家庭を築いていくことが何より第一で、
 それはお金がたくさんなくても、
 どうにかなる部分です。


若い頃に一人で暮らしたおかげでとても損をした、
 と心から残念に思うことがあります。
 妥協しようとしない自我ほど、
 暮らしていてひどい仲間はありません。
 それに、他人を助けるにはどうすればよいか
 まったくわからなくなるだけでなく、
 何をしてもらいたがっているのか
 見当もつかなくなってしまうのです。

 静かな生活ができなくなるほど大げさなのも困りますが、
 人とつき合うことは私たちを満ち足りた気分にし、
 経験を豊かにしてくれるでしょう。
 慈善とはまたちがった思いやりの気持ちがだんだん輪を広げ、
 必ず宝物を持ち帰ってくるのです。
 人格の向上にも役立ち、
 自分の大切な目標からは目を離さず、
 しかも上手に自分の道を切り開いていくことが
 できるようにもなるでしょう。

 (ある夫人)192

※人とつき合うこと。
 それは外向的な性格の人にとっては
 改めて考える必要のないことだと思います。

 私はどちらかといえば内向的で、
 人とつき合うことを億劫に感じてきましたので、
 このように正直にまとめていただくと、

 そうだよね、よっぱり大切だよね、
 と反省するところが多いです。

 できれば一人で過ごすほうが
 性に合っている人は、
 おそらく他にも一定数はいると思います。

 ものすごい無理をする必要はないと思うのですが、

 やはり特に若いうちに、
 親が少しずつ助け舟をだしながらでも、
 人とつき合う習慣、
 自分なりの対処方法を身につけておくことができたら、
 いいなと思います。
 
 自分の人格を豊かにしてくれるものとして、
 人とのつき合いも、
 大切にしていきたいと思います。


善良さがどれほど多くの善を生むか、
 それは驚くほどである。
 善良なものは単独でいることがないし、
 悪もまた然りである。
 それはまた別の善なり悪なりを生み、
 新しく生まれたものはまたその次へと、とめどがない。
 池に投げた意志がだんだんと水面に波紋を広げ、
 ついには最初の輪が岸に届くのに似ている。

 この世に存在するほとんどすべての善は、
 このようにして過ぎ去った遠い過去から
 次々に受け継がれてきたものであり、
 知られざる神の御心から伝えられたものである、
 と私は考えている。
』194
 (キャノン・モーズリー)

※よい流れをつくる。

 善良さに導かれた
 よい流れをつくることができたら、
 人は強いと思います。

 人は誰でも、
 それほど深く考えていないうちに、
 流れに任せて、
 悪いほうにも流れていくことがあります。

 大切なのは、
 流れに任せているうちに、
 それほど考えていなくても、
 自然と良いほうに流れていける
 環境をつくっていくことだと思います。

 メンテナンスを怠れば、
 すぐに悪い流れへと向かって行きがちですが、

 適切にメンテナンスをし続けて、
 善良な大きな流れをつくって行きたい
 と願っております。



一緒にいるだけで、
 新鮮な空気を吸い込んでいるような気分にさせてくれる人がいるものだ。
 太陽の光をいっぱいに浴び、
 さわやかな山の空気を吸い込むように、
 彼らの存在はわれわれに再び力を与え、
 励ましてくれる。
」193

※そんな存在になれるようにがんばろう。

 私はあまり、
 外に向かって大きなエネルギーを発散させるような、
 活力にあふれた人間ではありません。

 でも日々明るく朗らかな気持ちで生きていくことで、
 周りにじわりとよい影響を与えていけるように心がけています。

 人は少しずつなら、
 良い方向に、自分を変えていけると考えます。


偉大で徳のある人物は人に慕われ、
 強い賞賛の気持ちを起こさせる。
 すぐれた人格をほめたたえることで精神は高まり、
 自分の精神を解放して
 利己心からもとの正しい姿に戻してくれる。

 偉大な思想や行動を残した人を思い出すと、
 たとえつかの間であろうとも清らかな雰囲気に包まれ、
 自らの目的や目標もいつの間にか
 高められたような気持ちになるものである。
」200

※そんな私になれたらいいです。

 すぐれた人物を褒めたたえることは、
 そういえば最近はほとんど行なわれていないように感じます。

 学校から道徳教育がなくなり、
 そもそも何が正しくて、正しくないのか、
 教えられなくなったことと、
 関係あるのでしょうか。

 必ずしも、
 日本に限ることはないと思うので、
 世界中の事例をはばひろく集めて、

 無政府主義者、全体主義者などでなければ、
 だれでも肯定しうるような道徳の教本を作れないのかなあ、
 と思います。


他人の長所を認めて賞賛する人は、
 誰よりも多くの友人に恵まれる。
 そのような人の性格は
 大らかで率直で心が暖かく、
 他人の手柄を無邪気に喜ぶことができるのだ。

 (サミュエル・ジョンソン)202

※そうありたい、と思うことが大切です。

 他人の長所を賞賛するには、
 自分のことは一歩ひいて考える、
 大らかな心が必要です。

 切磋琢磨しているライバルの成功を、
 賞賛できる、大らかな心をもてるように、
 日々研鑽したい。


狭い度量しか持たない人は、
 他人を心からほめることができない。
 何とも気の毒なことに、
 彼らには尊敬の気持ちはおろか、
 偉大な人物やその業績を認める能力がないのだ。
」204

※他人の成功を賞賛できない、
 他人の長所をほめることができないのは、

 度量が狭いあかしである、
 と知っておくことがまず大切。

 でも実際その立場にたって、
 すぐに大らかな心を示せるかは
 また別の問題でしょう。

 若いうちに、
 自分の心にわきおこる複雑な感情と向き合って、
 自分なりの対処ができるようにしておきたいものです。


他人の成功をねたんだり不愉快に思ったりするのは、
 本質的に度量の狭い、いやしい性格があるからにほかならない。

 不幸なことだが、
 世の中には大らかな気持ちを持てない人が多い。
 他人をあざ笑うことしか知らない人間ほど不愉快なものはない。
 こういった人たちは、
 どんな立派な業績であれ、
 他人の成功を腹立たしく思うことが多いのである。
 人がほめられているのを聞くのは耐えられない。
 相手が自分と同じ道を志していたり、
 同じ職業であったりすればなおさらである。
 人のあやまちは許せても、他人が
 自分を追い越して何かをするのは我慢がならない。
」205

※度量のせまい、いやしい性格でありたい、
 と思っている人はまずいないでしょう。

 他人の成功をねたんだり、腹立たしく思うこと、
 他人の失敗をあざ笑うこと、
 他人が自分を追いこしていくのは我慢ならないこと、
 
 これらの行為が、
 度量のせまい性格をしめす行為なんだと、
 具体的に教えてもらえると、

 改めて、気をつけないとな、
 と思えるものです。


ケチな了見しか持たない人は、
 他人をあざ笑ったり
 攻撃してあらをさがしたりすることしか考えない。
 分別のないあつかましい行為や
 反道徳的な行為以外のあらゆるものに、
 いつでも嘲笑を浴びせかねない。
 こんな人にとって何より救いが得られるのは、
 人格者に弱点があるのを知った時である。
」206

※そんな人とはできるだけ関わらないようにするのが一番でしょう。
 親兄弟であっても、離れて暮らすなりして、
 直接かかわらないようにしたほうがよいと思います。

 どうしてもすぐに離れられなければ、
 人生に与えられた修行の期間だと思って、
 がんばるしかないですが、
 悪い影響は避けられない、と知るべきです。


偉大な人物や充実した時代のいいところを見ずに、
 欠点ばかりを気にするのは悲しむべき性格だ

 (あるドイツの作家)206

※まず良い面をみる。
 それで騙されるなら、それでよい。
 最近は、そう思えるようになりました。

 人さまを騙す側にならないことは、
 気をつけたいです。



偉大な人の示した手本は永久に消えることがない。
 いつまでも生き続け、後の世代に語りかける。

 伝記小説は、
 精一杯に生きればどんな人間に成長して、
 どんな仕事を成し遂げられるかを教えてくれる。
 それを読めば新しい自信と力が湧いてくる。
 登場する人物が自分には手の届かないほど偉大であっても、
 やはりあこがれと希望を抱くよう勇気づけられるだろう。
」210

※模範となる人のお手本をもつこと。
 何度も言われて、
 改めてその重要性を考えさせられました。

 伝記を読むこと、
 歴史を読むことの意義は、
 やはりまずそういったところにあるのだと思います。

 義務教育の歴史では、
 偉人100人くらいの伝記を読ませる機会があるといいように思います。

 でもおそらく、100人分も、
 子供向けの伝記ってあるのでしょうか。
 調べてみます。


高潔な人格は時代から時代へと永久に受け継がれる遺産であり、
 同じような人格を絶え間なく生み出していくのである。
」211

※精神性は、相続されるものだ、
 という考え方も、
 よく考えればその通りです。

 唯物史観の影響で、
 高潔な人格をどのように子孫に伝えていくべきか、
 という課題に、しかるべき地位にいる方々は、
 誰も答えなくなってしまったように思います。


われわれは、後に残る者の心の中にいつまでも生き続ける」211

※そんな私になれるように、
 と思って生きるのも、
 自分を律するためには、
 良い心がけだと思っています。

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