2011年6月15日水曜日

マザー・テレサ『日々のことば』8月より

ジャヤ・チャリハ&エドワード・レ・ジョリー編、いなます みかこ訳
『マザー・テレサ 日々のことば』
(女子パウロ会、2009年11月。初出は2000年6月)より抜粋。
※印は栗木によるコメント。

◆8月3日
もっとも自然なことは、家庭の生活です。
 何が、家族をいっしょにするのでしょう。
 何が、いっしょに過ごす家族を育てるのでしょう。
 それは、お互いに譲り合うこと、忠実であること、
 そして、お互いに受け入れ合うことです。
」244

※お互い様。
 お互い様で譲りあって、
 いたわりあう生き方は、
 家族の中でこそ、大切なんだと思います。

 でもわりとありがちなのは、
 外でがまんしていい顔をし過ぎて、
 大切な家族に当たり散らしてしまうことです。

 そんな状況になってしまったら、
 たとえ仕事を辞めてでも、
 家族を取り戻す方をとれるだろうか。

 そこから先の生活のことを考えると、
 なかなかそれもできない。

 まずはお互いに話し合って、
 意思疎通を忘れないようにしたいです。


◆8月4日
もし父親と母親に、
 お互いの忠実さと譲り合う心がないなら、
 自分の子供たちに忠実を要求するのは、
 かなり勇気が要ることでしょう。
 今日、わたしたちが抱えている家庭生活の多くの問題は、
 ここから出ていると思います。
」245

※信じ合い。
 何ごとも、自分のことを置いておいて、
 きれいごとを話しても、
 それは伝わらないはず、
 と心得ておきたいです。

 むつかしいことかもしれませんが、
 まず家庭、まず夫婦を
 心がけたいと思います。


◆8月7日
沈黙は、祈りの美しい実です。
 言葉の沈黙だけではなく、
 心の沈黙、目の沈黙、耳の沈黙、精神の沈黙、
 私が五つの沈黙と呼んでいる、
 これらの沈黙を身につけなくてはなりません。
 さあ、あなたの五本の指を使って言ってみて、
 そして覚えてください。
」248

※沈黙がもつ、無限の広がりに。
 しゃべりすぎは体に毒です。
 これはもともとの自分に戻せばいいことなので、
 わたしにはありがたい言葉です。

 しずかに、しずかにいることで、
 自分を取り戻して、
 自分を思い出して、
 心身ともに、
 笑顔になれるようにしたいです。


◆8月19日
与えるために、
 どれだけ持っているかが問題なのではなく、
 わたしたちがどれだけ空っぽであるか、
 ということが大切なのです。
 空っぽなので、 日々、十分にいただくことができるのです。

 自分自身をみつめることをやめ、
 何も持っていないこと、
 何者でもないこと、
 何もできないことを喜びましょう。
 あなたの無があなたを脅かすときはいつでも、
 イエスさまに、大きなほほえみをささげましょう。
」261

 ※空っぽの私=元気な私

◆8月29日
死は、自分の家に帰ることですが、
 人は、何が起こるかを恐れて死にたくないものです。
 そこには良心の問題もあります。
 〈もっとよくやるべきだったのに〉と。

 私たちは生きたように死ぬものです。
 死とは人生の続きであり、 また、人生を完成させるだけでなく、
 体をお返しするに過ぎないのです。
 しかし、心と魂はずっと永遠に生き続けます。
 死なないのです。
」272

 ※魂を意識する。

◆8月30日
ご両親へ
 子供たちが、自分たちのお父さんとお母さんから、
 どのように互いに愛し合うのかを学ぶことは、
 とても大切な事です。
 学校でではなく、先生からでもなく、あなたがたから。
 あなたがたが、
 子どもたちと、ほほえみを交わす喜びを共有することも、
 とても大切です。

 意見の相違はあるでしょう。
 どんな家庭にも、辛いときや苦しいときがあります。
 そんなときは必ず、まずほほえんでゆるすこと。
 いつも朗らかで、幸せでありますように。
」273

 ※朗らかな私。まずほほえもう。

0 件のコメント:

コメントを投稿