2011年6月28日火曜日

鈴木鎮一 『愛に生きる ― 才能は生まれつきではない』 2章

鈴木鎮一 『愛に生きる ― 才能は生まれつきではない』 
(講談社現代新書、1966年8月)


◆2章 耕児君とわたしたち

芸術は人である。
 感覚と心と行為の美しさ、高さ―
 それこそ芸術を学び、
 追求するものの道である。

 わたしはそう信じ、
 そうあってくれるように、
 ということだけが、
 わたしの生徒たちへの願いでした
。」46

※芸術のもたらす影響は、
 それほど直接的な、即効性のあるものではないので、
 ついつい忘れてしまいがちです。

 恐らくは、芸術にたくさん触れていたからといって、
 学問なり、仕事なりが上手くいくわけでもないですし、
 お金が儲かる、ということもないでしょう。

 とはいえ、生き残ることだけが
 人生のすべてというのでは、
 何かしら物足りなく感じるのが、
 人間の人間たる理由でしょう。

 美しい心に導かれ、
 魂の深いところにある感動と向きあう経験は、
 人間らしく生きる上で、
 とても大切なものだと思います。 


わたしはつねに、
 きょうの日のことを最高に生きる―
 なにごとであれ、
 与えられた仕事、
 当面する仕事に集中し、
 全力を打ちこむことの喜びを知っていました。

 それは、若い日に道元禅師に教えられ、
 実践してきたことです。
」52

※目の前の現実に、
 不満を言わずに、
 与えられた仕事に集中する。

 何とか、慎ましやかな生活が成り立つのであれば、
 それなりの不遇に堪えて、
 数年の時を過ごす機会も必要でしょう。

 ただし、
 衣食住すらままならない状況では、
 食べる物もままならない状況では、
 目の前のことに集中することは難しいでしょう。

 食べられないのであれば、
 まず食べられるように仕事を見つける。
 その仕事の内容にこだわりをもたないこと。

 その覚悟が大切なんだなあ、
 と今では思います。


わたしは、
 すぐれたひとに接することが、
 どんなにあなたがた若いひとにとってだいじかということを、
 体験的に強く感じています。

 そうすることによって、
 わたしたちは無意識のうちに、
 自分の心・感覚・行為を高めていくものです。

 人格形成のうえで、
 これは根本条件だと思います。
」60

※すぐれた人に接すること。
 それは実際、大切なことですが、
 なかなかそういった機会に恵まれないことはあるでしょう。

 気をつけておきたいのは、
 接する私のほうで、
 すぐれた人に対する心の準備が出来ているか、
 ということです。

 自分にさまざまなわだかまりがある状態では、
 どんなにすぐれた人に接していても、

 相手への尊敬心よりむしろ、
 嫉妬心にさいなまれて、
 相手の長所から学ぶことはできないでしょう。

 偶然おきるよい出会いを
 素敵なものに変えるためにも、
 自分の心を、素直に、美しくしていきたいものです。


高い人間性―
 しかも、
 芸術によって身も心も洗い清められた
 偉大なひとびとに接することは、
 地上でいちばん大きなしあわせであることを、
 これからのあなたはいっそう身にしみて知るでしょう。

 そして、
 その偉さ、美しさをどれだけ感得できるか、
 そのことがあなたの人間としての価値となるでしょう。

 しかし、
 感知し、獲得する力は、
 自分を低きにおき、
 この地上におけるほんとうのものの価値を見つめ、
 真実と愛情と知識との積み重ねによってだけ生まれるものです。
」68

※ある行為の美しさを感じ取れるかどうかは、
 その行為を受け止める側の問題でもあります。

 私の心にもやがかかっていれば、
 どんなに偉大な人が目の前にいても、
 まったく気がつかずに通りすぎてしまうことになります。

 まず大切なのは、
 自分の心に磨きをかけて、
 私のまわりに広がる、さまざまな美しさを
 見落とさない感受性を
 つねに持てるようにしたい。

 そうした目は、
 自分をいつも低いところに置いて、
 つねに物事の本質を見つめ続けることによって
 獲得される。

 芸術によって、
 美しいものを美しいと感じる心が養われること。
 それは確かだと思います。

 そうした感受性は、
 人との出会いにおいて、
 よい出会いをたぐりよせる源にもなります。


けれども、
 いつのばあいでも、
 すぐれたものを感じとる営みは、
 相手によるのではない。

 それは自分自身のうちに
 感じとる力をもっていなければならない。

 より高いものを獲得するために、
 自分自身のうちなる力を
 より強く育てなければならない。

 そうすることのできるひとだけが、
 すぐれたひとのかたわらにいる
 しあわせをもちうるのです。

 つねに謙虚に―
 心おごるところからは、
 真実と偉大さを知る力が失われていく。
 このことを、どうか忘れないでください。
」69

※まず大切なのは謙虚であること。

 心おごるとはつまり、俺様が、
 と思うところから何も生まれないのは、

 頭にもやがかかってしまうから。

 冷静に考えれば、いかなる人間も、
 一人の力では生きられないわけですから、
 何がしかの運命によって、
 この世に生まれでてきたことを思えば、 

 人は自分の存在がいかにちっぽけで、
 かたじけないものであるかを悟るでしょう。

 心おごる気持ちのときは、
 この現実が見えなくなっているときですから、
 誤った前提で物事を見ている以上、

 物事の真実、行為の偉大さを感じとる
 素直な心も失われてしまいます。

 でも常におごりやすいのが自分の心なので、
 日々の生活の中で、私は今、奢っているのではないか、
 と語り直す時間を持つように心がけたい。


すぐれたひと―
 それはあたたかい心、
 高貴な魂、
 人間らしい素朴さをもった自然なひとです。
」71

※どんな人がすぐれているのか、
 これも案外、わからなくなりがちです。

 お金があるから、
 高学歴だから、
 地位が高いから、

 という見方も、手っ取り早い方法としては、
 絶対に間違いである、とは言えない所もあるでしょう。

 しかしここにいう
 「あたたかい心、高貴な魂、人間らしい素朴さをもった自然な人」
 のほうが、すぐれて人であることは間違いないでしょう。

 人を見る目、として、
 こういう人物を選ぶことができるか、

 それは私自身の問題でもあります。


あのすばらしい曲を、
 あなたはお客さまのためにひくのですか。
 みせものじゃないんですよ。

 お客さまのためのショーのように考えるのはおやめなさい。
 まちがえてもかまわない。
 まちがったらひき直せばいい。

 あなたは今夜、
 あのすばらしい曲の作者ショーソンの霊に向かっておひきなさい。
 ショーソンの、あのすばらしい詩の心・感動に対して、
 あなたの感動を訴えるのです。

 そうすればなんの心配もいらない。
 あなたとショーソン以外はだれもいない。
 なにもない世界なんですよ。

(ショーソン『詩曲』の演奏に際して)73

※芸術って何だろう。

 コンサートを開いて、
 お金をいただいて生活をしていくのであれば、
 そのお客さまのために弾くことは、
 絶対に間違いだとは言えないでしょう。

 でもそこまでで、
 完全に止まってしまうのであれば、
 案外つまらない話となってしまいます。

 このショーソンの霊に捧げるために弾く、
 という考え方は、とても素敵なものだと思います。

 音楽の神さまへ、より高い、何がしかの力のために、
 自分の力を捧げる、という考え方のほうが、

 芸術というものの本質を表しているように思います。

マザー・テレサ『日々のことば』9月より


ジャヤ・チャリハ&エドワード・レ・ジョリー編、いなます みかこ訳
『マザー・テレサ 日々のことば』
(女子パウロ会、2009年11月。初出は2000年6月)より抜粋。

※私はキリスト教徒ではありませんので、
 神様の名を上げることに解決を見出そうとされる部分は、
 それほど共感できません。
 ただ宗派がなんであれ、
 自らの生涯を実践に捧げられたことには、
 たくさん共感する部分があります。

◆9月2日
親切で慈しみ深くありなさい。
 あなたに会った人はだれでも、
 きたときよりももっと気持ちよく、
 もっと幸せになって帰るようにしましょう。

 神の優しさの生きたしるしになりなさい。
 あなたの表情に、あなたの瞳に、あなたのほほえみに、
 あなたの温かなあいさつに、親切が表れますように。

 子どもたちに、貧しい人に、
 苦しみや孤独を感じているすべての人に、
 いつも温かいほほえみを向けましょう。
 お世話をするだけではなく、あなたの心も与えなさい。
」277

※接客の基本。
 出会いの基本的な心がけ。

 私と出会って、
 何となく暖かい、明るい気持ちになってもらえたら嬉しいな。
 そう願いましょう。

 仕事の話はその先でいいでしょう。

 何をしたらよいかわからなければ、
 とりあえず、まずは自然な笑顔でほほえみかけられるように、
 人に対しているときは、明るく朗らかでいられるように
 つねに心がけていましょう。

 しだいによい方向に変わってきます。


◆9月18日
もし、経験がないならば、尋ねなさい。
 尋ねることは恥ずかしいことではありません。
 けれど、
 知らないことを知っているようなふりをするのは、
 やめましょう。
」298

※経験がないことを尋ねるのは、
 必要なことですが、
 勇気が入ります。

 人に尋ねるためには、
 自分からへりくだって、
 頭を下げなくてはなりません。

 こんなこともわからない私であることを
 公にすることは、やはり勇気がいることだと思います。

 でもやはり、
 相手が尋ねたがらないことについては、
 その気持ちを思いやる必要があるでしょう。

 ただ自分の問題について、
 知らないことを知っているふりをして、
 自分に嘘をつくことはないようにしたい。


◆9月25日
ほんとうの愛は、祈りの中で、
 神と共に始まらなくてはなりません。
 もしわたしたちが祈るなら、
 愛することができるでしょう。
 もしわたしたちが愛するなら、
 奉仕することができるでしょう。

 貧しい人たちもまた、
 もっとすばらしいことのために、創られたのですから、
 わたしたちみんなが彼らを愛するよう、
 わたしたちの心をささげると約束しましょう。
」306

※祈りのなかに、
 愛情というものを生かすことができるようになったら、
 それは強いと思います。

 愛情とは
 まず以て個人的なものです。

 家族への愛が、
 何にもまして大切であることは、
 当然なことでしょう。

 そこから少しずつ、
 外に向かってそろりそろりと
 愛情を広げていく余裕ができたなら、
 いいな。


◆9月27日
子どもたちは、彼らを受け入れ、
 彼らを愛して、彼らをほめ、
 彼らを誇りとしてくれる、だれかを熱望しているのです。

 子どもたちを、わたしたちの注意や関心の中心に、
 もう一度戻そうではありませんか。
 こうすることが、
 唯一、この世界が生き延びる道なのです。

 子どもたちは、未来への唯一の希望だからです。
 お年寄りが神に呼ばれるとき、
 その子どもたちだけが、
 彼らの場所を引き継ぐことができるのです。
」308

※心を受け止めて、受け入れて、認めること。

◆9月29日
祈りの実は、清い心、
 そして、清い心は、自由に愛します。
 愛の実は、平和、一致、喜びです。
」310

※祈ること。

2011年6月27日月曜日

森信三『運命を創る』2


森信三『運命を創る 「修身教授録」抄10講』
(致知出版社、平成23年5月)より。

※印は栗木によるコメントです。

※原著『修身教授録』は、
 森信三さんが「天王寺師範学校の専任講師として
 修身科の授業を担当していた、昭和十二年~十四年の
 講義内容を師範学校生徒によって口述筆記させたもの」
 がもとになっています。

 昭和十五年に同志同行社より『修身教授録』五巻セット
 として刊行されたのち、昭和四十五年に『森信三全集』
 の中に収録されました。

 その後、平成元年に致知出版社から単行本として世に出され、
 爾来ロングセラーを続けているものです。
(森迪彦さんによるまえがき参照)


2 志学

志学 というは、
 この自分という一箇の生命を、
 七十年の生涯をかけて練りにねり、
 磨きにみがいていって、
 ついには天下国家をも、
 道によって治めるところまで
 いかずんば已まぬという一大決心だ
」29

※人生の目標を立てる、
 ただ立てれば良いわけではない。

 ただそうは言っても、
 若ければ若いほど、
 知らないことばかりで、
 先のこともよくわからない状況なので、
 なかなか本人にとって
 一生の支えとなるような目標は立てられないものです。

 おそらくすぐれた先生か、
 すぐれた書物の導きがなければ、
 立派な人生の目標を立てるところまではいかないうちに、
 どんどん年月が過ぎて、いつのまにか
 学校で勉強する時期を終了していることの方が多いのではないでしょうか。

 それだけに、
 若くして、これはといえる
 人生の目標が立てられた人は強いと思います。

 よい先生は、人との縁で、
 そうした出会いに恵まれないことは
 あるかもしれません。

 でも書物は、少しお金をかければ、
 よい書物を家にそろえておくことは出来ると思います。


永続きしないものは決して
 真の力となるものではありません。
」31

※確かに、
 長く取り組むということは、
 根気のいることですが、大切だと思います。

 また、何をするにしても、
 三日坊主は論外として、
 数週間や数カ月ちょっとかじっただけて、
 身につく、というものではないでしょう。

 何をするにしても、
 ある程度身について来るのに
 数年はかかるでしょうし、
 それなりに結果が出てくるには、
 十年くらいは必要でしょう。

 そして五年、十年と続いてきたものであれば、
 おそらく一生、何だかんだと続いて、
 自分の大きな財産になっているでしょう。


人間の決心覚悟というものは、
 どうしても持続するものでないと本物ではなく、
 真に世のため人のためには、
 なり得ないのであります。
」31

※数カ月でやめました、
 ということでは、
 何ごともかたちになりません。

 若い時分に、
 そうした経験を二つ三つ持つことは、
 仕方がないのかもしれません。

 しかしすべてにおいて、
 途中で投げ出す癖がつかないようにしたいものです。


いやしくも人間と 生まれて、
 多少とも生き甲斐のあるような人生を送るには、
 自分が天からうけた力の一切を出し尽くして、
 たとえささやかなりとも、
 国家社会のために貢献するところがなくてはならぬ
」32

※自分のために、
 自分の志を立てる、
 それだけでは足りないのではないか。

 人さまのために、
 世の中のために、
 自分は何ができるのか、
 それを考えるところに、
 本当の始まりがある。

 人さまのお役に立つ、
 という考え方は、とても大切です。


自分が天からうけた力の一切を、
 生涯かけて出し切るところに、初めて、
 小は小なりに、大は大なりに、
 国家社会のお役にも立ち得るわけで、
 人生の意義といっても、
 結局この外にはない
」33

※力を出し惜しみして、
 何ごとかを成し遂げるのは
 無理でしょう。

 いつも精一杯のところで勝負して、
 力を出し尽くして、ようやく
 上手くいくこともある。

 ただ、いざ死期をむかえて、
 やっぱりああしておけば、
 と後悔しても、仕方がありません。

 死んだら終わりなので、
 日々の生活を精一杯、
 後悔しないようにがんばるのみです。


一方では際限があるようでありながら、
 しかも実際には限りのないのが、
 人が天からうけた力というものですから、
 そこでとことんまで出し切るには、
 一体どうしたらよいか
」35

※どこかに限界はあるのでしょうが、
 事前に自分の限界がわかることはありえません。

 限界については、
 考えないようにしています。
 まずは自分の限界を考えないで、
 がむしゃらにやってみるしかないでしょう。

 おそらく肉体的な限界は、
 割合早めに感じることになるのでしょうが、

 精神的な部分は、
 日々使い続けている限り、
 肉体の2、3倍は長く、
 成長を続けていくのではないでしょうか。

 とりあえず40が近づいている現状は、
 今まででいちばん頭脳は明晰に動いている感じです。

 できたら死ぬ直前まで、
 どんどんいろんな知的発見を楽しめる人生を送りたいです。


そのためには、
 一体いかなることから着手したらよいかというに、
 それには何と言ってもまず偉人の伝記を読むがよいでしょう。
」35

※先人の知恵に学ぶ、
 という態度は、より強く、
 持ち続けたほうが良いのでしょう。

 いろいろ読書はしてきましたが、
 伝記はそれほどたくさんは読んで来なかったかもしれません。

 人への興味を呼び起こし、
 自分の人生への足がかりを得るためにも、
 伝記は有用だなあ、
 と今更ながらに思います。

 おそらくあと2,30年は生かしてもらえると思いますので、
 まだ遅くない、と思って勉強を続けます。


偉人の書物を繰り返して読むということは、
 ちょうど井戸水を、
 繰り返し繰り返し、
 汲み上げるにも似ている
」35

※これはよくわかります。
 良書は、くりかえし読むごとに、
 違った味わいで、よい響きを返してくれます。

 若い時分に気をつけることは、
 悪書も数限りなくある、
 というか、悪書のほうが多い、
 といえないこともないので、
 それなりに選びながら、
 良書を読んでいくことです。


真に教育者の名に値するような人々は、
 超凡の大志を抱きながら、
 色々と世間的な事情によって、
 それを実現するによしない立場に立たされた人傑が、
 現実的にはそれを断念すると共に、
 どうしても自分の志を、
 門弟子を通して達成せしめずにはおかぬ、
 という一大願を起こすとこに、
 初めて生まれるもののようであります。

 孔子しかり、
 プラトンしかり、
 わが松陰先生またしかりです。
」37

※大きな志を恐れてはいけない。
 それは多く、壁に突き当たって、
 断念せざるを得なくなることが多い。

 でも大切なのはそこから、
 いかに努力して、現実に適応しながらなお、
 志を失わずにがんばり通すか、なので、

 壁に当たりそうだから、
 無理そうだから、といって、
 やってみたいな、と思う志は、
 ぜひ捨てないで続けていくようにしたい。

 当然そこまでは至らないのですが、
 若い一時期、歴史上の偉人に自分を重ね合わせるようなときは、
 あってもいいと思います。

2011年6月25日土曜日

【読了】吉川英治『宮本武蔵(二)』

さてこちらも、ほぼ一ヶ月で読み終えました。

吉川英治『宮本武蔵(二)』

(講談社、吉川英治歴史時代文庫15、平成元年11月)

これが一番読みやすかったのですが、
『明治天皇』と『ローマ人の物語』を読み終わるまで、
わざとゆっくり読み進めておりました。


宮本武蔵の伝記、
といってしまうと語弊があるでしょうが、
8冊読み終えて、
宮本武蔵と一心同体になって、
宮本武蔵ってすごい!
と思って、前向きに生きて行くことができるとしたら、


それ以上、何も求めるべきなのでしょうか。


叙述されてこその歴史です。


それならば、誰しもが読みやすく、
共感をもっていただける著作として、
宮本武蔵を書き上げたことの価値は
絶大なものがある、と思うのでした。


では第3冊目に入ります。

2011年6月23日木曜日

スマイルズ『向上心』第2章(前半)



サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著、竹内均 訳、
『向上心(CHARACTER)』
(三笠書房、知的生きかた文庫、2011年6月改訂新版)より。
※印は栗木によるコメントです。

第2章 個性を磨く

人格というものは、
 この世の中でもっとも大きな人を動かす『原動力』の一つである。
 高潔な人格には、
 人としてあるべき理想の姿がある。
」34

※人格という視点は、
 今の学校では教えられなくなっているのではないでしょうか。

 あえて学校で教えなくとも、
 と考えているのかもしれませんが、
 少し寂しい気はします。

 ただし道徳と称して、
 ジェンダー・フリーなどの狂った思想を植えつけられるよりは、
 民間で、これを学べば、というものを
 体系だてて作り上げていったほうが、よいのかもしれません。


非凡な才能は常に賞賛翔の的となるが、
 何にもましてすぐれた人格は尊敬の念を集める。
 どちらかと言えば、
 前者は知力の産物であるが、
 後者は精神的な力に負うところが大きい。
 長い目で見ると、
 人生を左右するのはこの精神的力なのである。
」34

※社会に出て、
 長い目で見れば、
 今でもやはり、人生を左右するのは
 非凡な才能の力よりも、
 すぐれた人格の力によるのだと思います。

 ただしまず第一歩、
 社会に足を踏み出すときに、
 評価の対象とされるのは、
 外から見て、すぐにわかるものであることが多いです。

 人格が評価されるのには、
 ある程度、時間がかかります。


充実した人生をおくるために努力を惜しまず、
 どんな些細なできごとにも真心を持って、
 正しく誠実に謙虚さを失わずに生きることは、
 誰にでもできる。
」35

※確かに、わたしにもできる。
 そのために私は、
  努力を惜しまず、
  真心をもって、
  正しく誠実に、
  謙虚さを失わずに
 生きる日々を、
 心から楽しいと思えるようになりたい。


人生の中心は、
 ありふれた平凡な義務を果たすことにある。
 美徳の中でももっとも影響力があるのは、
 日常生活で必要とされる種類のものである。
 これらの美徳には何よりも値打ちがあり、
 永続性がある。
」36

※ありふれた日常に注目することは、
 若いうちにはなかなか難しいことかもしれませんが、

 さすがに四十が目前に迫ってくると、
 腑に落ちるところが多いです。

 日常の生活を充実させる中にこそ、
 よい人生のほとんどすべてがある、と思います。


知的教養は、
 人格の純粋さや立派さなどには必ずしも関係がない。
」37

※これは、どちらかといえば
 勉強ばかりして来た身にとっては、
 少し残酷な言葉なのですが、

 正しい考え方だと思います。


ほんのひと握りの信仰心は、
 山ほどの学問に匹敵する

(ジョージ・ハーバード)37

※信仰心は、
 どちらかといえば、今の日本で、
 猜疑心をもって見つめられていると思います。

 しかし冷静に考えれば、
 信仰心を何ももたない人生ほど、
 空虚なものはないのではないでしょうか。

 何も新興宗教に手を出す必要はないので、
 ご先祖さまに手を合わせる心は、

 人として忘れずにおきたいものです。


心を豊かに育てることに比べれば、
 他はみなとるに足りないと自覚しなければならない

(ウォルター・スコット)38

※確かに、
 心さえ豊かであれば、
 あとはどうにかなるもの。

 勉強をするのも、
 お金を稼ぐのも、
 仕事をするにも、
 自分の心を豊かにする側面があることを
 忘れてはならないと思います。


人格は財産である。
 しかもいちばん高尚なものだ。
 普遍的な善意と、
 人びとの尊敬に囲まれた自分だけの所有地である。
」39

※大人になって、
 人格という財産を、
 蓄える努力を忘れないようにしたい。

 一生勉強です。
 死ぬ直前まで、
 日々自分を少しずつ高めていく人生であれたらいいな。


世の中の人にもっとも効果的に働きかける点で、
 勤勉さ、善良さ、
 美徳などのすぐれた資質を持つ人物が
 誰にもまさるのは当然のことである。
」39

※勤勉な人、
 善良な人、
 すぐれた資質をもつ人を評価する社会であるといい。

 少し長い期間で考えれば、
 今でも何も変わらないと信じたい。


われわれは一人残らず金持ちや偉人になったり、
 高い教育を受けたりしなければならない必要はない。
 しかし、誰にでも誠実に生きる義務はあるのだ。

 (ベンジャミン・ルドヤード)40

※誠実に生きることは、
 私にもできる。

 よし、誠実に生きよう。

 そうした生き方は、
 子どものうちに身につけておきたい。
 親の責務として。


正直でなければ、
 つまり真心がなければ信用に値しない。
 この真心こそ、
 人びとの尊敬を集め、
 信用を得る要因なのである。
 真心は人間としてのあらゆるすばらしさの基礎である。
」42

※誠実であるとは、
 正直であること。
 他人に対してはもちろん、
 自分に対しても、正直であること。
 すなおな、きれいな心を持ちつづけること。

 結局それが一番楽な生き方だと思います。

 そんな人たちを、
 きちんと評価できる社会であるといいな。


人生で起こるさまざまなできごとや職業において、
 知性は人格ほど役に立たないし、
 頭脳は心ほど効果的には働かない。
 非凡な才能でも、
 自制心や忍耐、
 公平な判断に立脚した信念にはかなわない。
」43


個人の生活、
 あるいは社会での生活を円滑に送る手だてとしては、
 公平さに導かれた良識を身につけておくのがいちばん役に立つ。
 経験に育てられ、
 善意から発した良識は、
 実際的な知恵となって表われる。
」43


自分そのもの以上に自分を傷つけるものはない。
 ずっと耐え忍んできた欠点は身についてしまっている。
 自分の欠点に悩むこと以上に深刻な悩みは、
 この世にあり得ないだろう

 (ある聖職者)45


物質的にでなく精神的に豊かになり、
 世間的な名声でなく真の名誉を求め、
 学問をおさめるよりは徳のある人間になり、
 権力をかさに着て権威を振り回すのではなく、
 正直で誠実で高潔な人格を目標にしなければならない。
」46


常に自分を今以上に高めようとしない人間ほど貧しいものはない
 (十六世紀の詩人ダニエル)47


人格の根となる意志の力、茎である智恵-
 実際に役立つこの二つの力がある程度なければ、
 人生は曖昧模糊として、
 何のために生きているのかもわからない。
」47


人格者は良心的である。
 自分の良心に従って働き、
 話し、行動する。

 人格者はまた敬虔な心の持ち主でもある。
 この資質を備えた人は男女を問わず、
 きわめて気高く、
 そして崇高な人間像をつくる。

 彼らは、
 時代とともに引き継がれてきたさまざまなもの-
 高い理想、純粋な思想、
 高い目的、過去の偉大な人物、
 そして高潔な心を持って働く同じ現代に生きる人
 といったものを敬う気持ちを持っている。
」50

2011年6月20日月曜日

森信三『運命を創る』1



森信三『運命を創る 「修身教授録」抄10講』
(致知出版社、平成23年5月)より。

森信三さんのことを知ったのは、
致知出版の一連の書籍を通じてです。

正しく生きるとはどういうことなのか、
より深く考えたいときに、とても参考になります。
※印は栗木によるコメントです。

1 人間と生まれて

われわれ人間にとって、
 人生の根本目標は、
 結局は人として生をこの世に受けたことの真の意義を自覚して、
 これを実現する以外にない
」13

※人として生を受けて、
 何かしら人として、人のお役に立つことができて、
 次の世代に伝えて行くことができたら本望だ、
 という視点。

 そんなことを考える間もなく、
 日々の生活をがんばってやりくりしていくのが、
 大方の人で、
 別にそれが悪いわけではない。

 しかしとくに若い時期に、
 こうした話を聞いて、自分は何のためにこの世に生きてきたのだろう、
 と考えをめぐらしておくことは、
 大切なことだと思います。


そもそもいかなる力によってわれわれは、
 かく人間として
 その生をうけることができたのであるか。
」13

※先に、自分があるわけではない。
 でも気がつくと、人間としてこの世に生を受けている。
 何がしかの大きな力の存在に気がつけるといい。


われわれがこの世に生をうけたのは、
 自分の努力などとは全然関わりのない事柄であって、
 まったく自己を超えた大いなる力に催されてのことであります。
」15

※生かされている自分を意識する。
 自分の意志によって、生きているのだ、
 と考えるのは傲慢だと思いたい。

 大きな力によって
 生かされているうちは、
 上手くいかないことばかりでも、
 生き続ける義務がある。


われわれ人間は、
 ひとり自己の生年月日や、
 生まれた場所を知らないのみならず、
 おむつのとれる年頃までも、
 自分の存在については、
 ほとんど知る所がない
」16

※自分とは、あとから獲得されるもの。
 何も知らない状態のところに
 ポンと生まれてきて、
 すべての事柄は、
 あとから獲得されるのである。

 自分のことがある程度わかってくるのは
 かなり年月がたってからで、

 なんかわからないうちに
 生まれていて、なんかわからないうちに
 がんばって毎日を生きて、
 大きくなっていたのが私です。


われわれ人間は自分がここに人間として生をうけたことに対して、
 多少なりとも感謝の念の起こらない間は、
 真に人生を生きるものと言いがたい
」17

※自分が出しゃばるな。
 自分をここまでしてくれた親兄弟、先生、友人たちに感謝。
 自分をここまで生かしてくれた奇跡に感謝。

 私はそれほどできた人間ではなかったので、
 このことがわかって来たのは、
 だいぶ年をとってからです。


人生そのものの意義を知らなければ、
 人の形をして生まれて来たとはいえ、
 人間として真に生き甲斐のある生き方はできない
」18

※人として生きる。

 自分は何のために生きてきたのかも、
 後から、ある程度の年齢まで一生懸命に生きてきて、
 あるときにふと、気がつくものかもしれません。

 はじめからわかるということはない。
 どうすればわかるのかもわからない。

 わからないままの人も大勢いる。
 それでものすごく不幸になるわけでもない。

 それでも、できることなら、
 自分の人生の意義を自覚した生き方をしたい。


人生の意義を知るには、
 何よりもまずこのわが身自身が、
 今日ここに人間として生を与えられていることに対して、
 感謝の念が起こらねばならぬ
」18

※一日の感謝。
 ありがとうございます。
 ありがとうございます。
 と自然に手を合わせられるか。

 もし、ありがとうの言葉が出てこなくても、
 毎日、お祈りする習慣をつけると、
 自然に、ありがとうございます、
 の言葉が心から出てくるようになってきます。

 お祈りは大切です。
 お祈りをしながら、誰かのことを非難したり、
 恨みつらみを述べたりすることはないでしょう。
 お祈りは感謝の気持ちを呼び起こします。


人身をうけたことに対する感謝の念は、
 昔の人が言った『人身うけがたし』
 という深い感懐から初めて発して来るものと思う
」19

※なにかの縁で、
 人として生まれてくることができた、
 感謝の気持ちを持てるか。

 何かの大きな力が、
 人としての私を生み出した、
 そこに感謝できるかどうか。

【読了】塩野七生『ローマ人の物語 4 ハンニバル戦記 中』

ほぼひと月かけて、読み終えました。



塩野七生
『ローマ人の物語4 ハンニバル戦記〔中〕』
(新潮文庫、平成14年7月。初出は平成5年8月)


ハンニバルって、誰?

という状態から読み始めましたので、
同時代を描いた他人の作品と比べてどうなのか、
それはよくわかりません。

ただとても面白く、興味を失うことなく、
最後まで読み進めることができました。

紀元前210年あたりの歴史的な事実を、
これだけ細かく叙述していけるだけの史料が
残っていることにも驚かされました。

これがローマ史の厚みなんだなあ、
と感心しました。

次は、ハンニバル戦記(下)に挑戦です。

2011年6月17日金曜日

【読了】木暮正夫『二宮金次郎』

教室に、子どもの本をたくさん置きたいな、と思っています。
しかし自分で読まずに、ただ置いておくのも違うと思うので、
読み終えしだい紹介していきます。

二宮金次郎の伝記は、
当然あるべきなのですが、
子ども向けのわかりやすいものがあるのかしら、
と思って探したら見つかりました。



木暮正夫(こぐれまさお)『子どもの伝記18 二宮金次郎』
(ポプラポケット文庫、ポプラ社、2010年6月。初出は1999年)



子ども向けにわかりやすく書くことは、
大人向けにむつかしく書くことより、はるかにむつかしいことなので、
参考になるところが多いです。

二宮金次郎について、
名前を知らない人はあまりいないでしょうが、
何をしたのかについて、意外に知らないのではないでしょうか。

木暮さんによる伝記は、わかりやすく勉強になりました。

総ルビなので、もう少し漢字が多くてもいいように感じました。

2011年6月15日水曜日

マザー・テレサ『日々のことば』8月より

ジャヤ・チャリハ&エドワード・レ・ジョリー編、いなます みかこ訳
『マザー・テレサ 日々のことば』
(女子パウロ会、2009年11月。初出は2000年6月)より抜粋。
※印は栗木によるコメント。

◆8月3日
もっとも自然なことは、家庭の生活です。
 何が、家族をいっしょにするのでしょう。
 何が、いっしょに過ごす家族を育てるのでしょう。
 それは、お互いに譲り合うこと、忠実であること、
 そして、お互いに受け入れ合うことです。
」244

※お互い様。
 お互い様で譲りあって、
 いたわりあう生き方は、
 家族の中でこそ、大切なんだと思います。

 でもわりとありがちなのは、
 外でがまんしていい顔をし過ぎて、
 大切な家族に当たり散らしてしまうことです。

 そんな状況になってしまったら、
 たとえ仕事を辞めてでも、
 家族を取り戻す方をとれるだろうか。

 そこから先の生活のことを考えると、
 なかなかそれもできない。

 まずはお互いに話し合って、
 意思疎通を忘れないようにしたいです。


◆8月4日
もし父親と母親に、
 お互いの忠実さと譲り合う心がないなら、
 自分の子供たちに忠実を要求するのは、
 かなり勇気が要ることでしょう。
 今日、わたしたちが抱えている家庭生活の多くの問題は、
 ここから出ていると思います。
」245

※信じ合い。
 何ごとも、自分のことを置いておいて、
 きれいごとを話しても、
 それは伝わらないはず、
 と心得ておきたいです。

 むつかしいことかもしれませんが、
 まず家庭、まず夫婦を
 心がけたいと思います。


◆8月7日
沈黙は、祈りの美しい実です。
 言葉の沈黙だけではなく、
 心の沈黙、目の沈黙、耳の沈黙、精神の沈黙、
 私が五つの沈黙と呼んでいる、
 これらの沈黙を身につけなくてはなりません。
 さあ、あなたの五本の指を使って言ってみて、
 そして覚えてください。
」248

※沈黙がもつ、無限の広がりに。
 しゃべりすぎは体に毒です。
 これはもともとの自分に戻せばいいことなので、
 わたしにはありがたい言葉です。

 しずかに、しずかにいることで、
 自分を取り戻して、
 自分を思い出して、
 心身ともに、
 笑顔になれるようにしたいです。


◆8月19日
与えるために、
 どれだけ持っているかが問題なのではなく、
 わたしたちがどれだけ空っぽであるか、
 ということが大切なのです。
 空っぽなので、 日々、十分にいただくことができるのです。

 自分自身をみつめることをやめ、
 何も持っていないこと、
 何者でもないこと、
 何もできないことを喜びましょう。
 あなたの無があなたを脅かすときはいつでも、
 イエスさまに、大きなほほえみをささげましょう。
」261

 ※空っぽの私=元気な私

◆8月29日
死は、自分の家に帰ることですが、
 人は、何が起こるかを恐れて死にたくないものです。
 そこには良心の問題もあります。
 〈もっとよくやるべきだったのに〉と。

 私たちは生きたように死ぬものです。
 死とは人生の続きであり、 また、人生を完成させるだけでなく、
 体をお返しするに過ぎないのです。
 しかし、心と魂はずっと永遠に生き続けます。
 死なないのです。
」272

 ※魂を意識する。

◆8月30日
ご両親へ
 子供たちが、自分たちのお父さんとお母さんから、
 どのように互いに愛し合うのかを学ぶことは、
 とても大切な事です。
 学校でではなく、先生からでもなく、あなたがたから。
 あなたがたが、
 子どもたちと、ほほえみを交わす喜びを共有することも、
 とても大切です。

 意見の相違はあるでしょう。
 どんな家庭にも、辛いときや苦しいときがあります。
 そんなときは必ず、まずほほえんでゆるすこと。
 いつも朗らかで、幸せでありますように。
」273

 ※朗らかな私。まずほほえもう。

2011年6月12日日曜日

スマイルズ『向上心』第1章



サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著、竹内均 訳、
『向上心(CHARACTER)』
(三笠書房、知的生きかた文庫、2011年6月改訂新版)より

先に『自助論』を読んで、
次は『CHARAKTER』の方をと思っていたら、
都合よく竹内均さん訳の『向上心』が久しぶりに再刊されたので、
これを読んでいきます。

第1章を読んでみると、
『自助論』よりも少し取っつきにい印象ですが、
話の内容は、こちらの方が深いようです。

※印はわたし(栗木)のコメントです。


第1章 自分を大きく育てる

物事の明るい面を見るか、
 暗い面を見るかを、
 われわれは自分で選ぶことができる
」12

※心がけだけでどうにかなる部分は、
 できるだけ明るく朗らかに、
 まず前を見ることを心がけたい。
 そうしていると、
 意外にどうにかなっていくものです。


勝手に災いを予測し、
 つくり出していたのでは、
 それに克つことはできない。
 いつも災難を背負い込んでいては、
 いつかはその重みに押し潰されてしまう。
 災難に見舞われたら、
 希望を捨てずに勇敢に処理しなければならない。
」14

※前向きに生きていても、
 それなりに苦しいことはあります。

 それをあえて自分から、後ろを向いて、
 壁に向かって体当たりしていたのでは、
 苦しみだらけでどうしようもなくなるでしょう。

 辛いことの多い世の中でも、
 笑って前を向いて生きて行くことを
 信条としたいものです。


人生には、
 考え方しだいで常に二つの面がある。
 陰を選ぶか陽を選ぶかである。
」17

※不幸であるかどうかは、
 その人の心が、不幸だと感じるかどうかにかかっている。
 幸せであるかどうかは、
 その人の心が、幸せと感じるかどうかにかかっている。
 幸せか不幸せかは、自分の心の持ちようで、
 相当程度変わってくるものだ。


まず第一に朗らかであること、
 第二に朗らかであること、
 そして第三にも朗らかであることだ
』18
 (ある現代作家)

※朗らかで明るく前向きに生きることは、
 自分の内面の問題であって、
 自分の努力でどうにかなることですから、

 自分に向かって、
 前を向くこと、
 明るく楽しく生きることを語り続けていこう。


明朗さは人間を育てるための何よりの土壌である。
 それは心に明るさを、精神に弾力性を与える。
 明朗さは人間愛を生み、忍耐力を生み、
 智恵の母胎となる。
」18

※明るく朗らかであれ!
 元気がないと明るくはなれないものですが、
 少しのことであれば、
 明るく朗らかにしているうちに、
 元気が出てくるもの。

 今の自分は、
 明るく朗らかであろうか、
 日々問い直して生きるようにしたい。


朗らかさを身につけているのは何よりの強みである。」19

※少し冷静になれば、
 ブスッとして、暗く落ち込んでいたり、
 物事の悪い面ばかり見て、
 いつも怒ってばかりいるよりも、

 何があっても、
 明るく朗らかでいられる方が、
 人生幸せです。


痛風、喘息の他に七つほどの病気にかかっているが、
 それ以外はどこも故障はない
』23
 (評論家シドニー・スミス)23

※物事を前向きに捉え、
 より多くの幸せを感じられるようにするためには、
 いつも朗らかでいられるようにすることが重要である。
 朗らかなわたしを手に入れること。


朗らかさの基礎となるのは、愛と希望と忍耐力である。

 愛は愛を呼び覚まし、慈悲を生む。
 愛は惜しみなくやさしくそして誠実であり、
 善悪を見きわめるものである。

 愛は物事を明るく変え、常に幸福を追求する。
 愛は明るい考え方を育て、
 朗らかな雰囲気の中に宿る。
」23

※心身が健康でないと、
 それなりに元気がないと、
 明るく朗らかではいられない。

 心身の健康を支えるおおもとは、
 愛情である。

 愛情につつまれた生活を送っていられるのなら、
 心身はまず大丈夫。

 でもそれが、身近にないこともある。
 そんなときにも、
 それなりに自分の健康を維持して、
 明るく朗らかに生きられるようにしたい。


詩人リー・ハントは、
 『力そのものにはやさしさの半分ほどの威力もない』
 と言ったが、
 人間はまさしく、力よりも愛情によって支配されるものなのだ。
」27

※人間にとって
 愛情が決定的に大切であることは、
 少しでもそれを欠いた生活をしたことがあれば、
 すぐにわかることでしょう。

 少なくとも自分にとってはそうです。


哲学者ターレスが、
 『他には何もなくても、
  希望だけは誰もが持っている』
 と言ったように、
 確かに希望はごくあたりまえのものではある。

 しかしまた、希望は貧しい者を救う強い力であり、
 『貧しい者のパン』
 とも呼ばれてきた。
」31

※どこかに、なにがしかの希望がなければ、
 生き続けていくのは相当苦痛になる。

 何かの希望があるから、
 生きるのが楽しくなって、
 明日もがんばろう、と思える。

 自分にとっての希望とは何だろう。

 日々小さな希望を見つけて、
 少しずつ新しい扉を開いて、
 生きていけたらいいと思います。


将来への希望があればこそ、
 人はあらゆる努力と試練に立ち向かっていける
」32

※将来への希望、
 それはある程度、
 自分で切り開いていくものです。

 どこにどのように開いているのかは、
 人それぞれよくわからないものです。


希望がなければ、
 未来はどこにあるというのだ?
 地獄にしかない。
 現在はどこにあるかと問うのは愚かしいことだ。
 われわれはみなそれをよく知っているのだから。
 過去はどうだ。
 くじかれた希望だ。
 ゆえに人間社会で必要なのは、
 どこにいても希望、希望、希望なのである。
』32
 (バイロン)

※希望は与えられるものではなく、
 何気ない日常の中から、自分で見つけ出し、
 創り出すものである。

 どこにでも、
 どんなかたちでも、
 それなりに希望は創りだして行けるものです。

 目の前の現状に絶望したいときは、
 しばらく休養して、
 心をやすめて、落ちついて、自分の歩く道を考えなおし、
 新しい希望を見つけ出すといいでしょう。

 なんだっていいんです。
 とりあえず生きましょう。

【読了】ドナルド・キーン『明治天皇(二)』



ドナルド・キーン著、角地幸男訳『明治天皇(二)』
(新潮文庫、平成19年3月。初出は平成13年10月)

ほぼひと月かけて、第2巻を読了しました。

5月の後半から、新しい仕事がはじまりましたが、
今のところ読書の時間は確保できております。

淡々とした冷めた筆致で、
つまらなくなったら止めてもいいのですが、
意外におもしろいのは、やはり明治天皇という
日本人にとって興味を抱かざるをえない人物であるからでしょう。

日本の学者であれば、
おそらく叙述の端々に何かしらチクリと
左よりのコメントを加えてしまうところ、
そうした愚を犯すことがないのは、さすがです。

第2巻も興味深く読み進めることができました。
次は第3巻に入ります。