2011年3月31日木曜日

『自助論』7章~金の知恵

日々好きな本を読んで、好きな音楽を聴いて、
庭先で花や野菜を育て、ほどほどに健康で、
ご先祖様の御霊を慰めつつ、家族ととともに生きていけたら、
いいな。

私に取ってのお金は、
そのために必要なものだと思います。



スマイルズ著、竹内均訳『自助論』
(三笠書房 知的生きかた文庫、2002年4月改訂新板)より。
※印は栗木によるコメントです。

7章 金の知恵

金をどのように扱うか?
 どのようにして金を手に入れ、貯え、使うか?
 これはわれわれが人生を生きぬく知恵を持っているかどうかの最大の試金石だ。
」165

※実際、無一文では何もできませんから、
 どうやって稼ぐのか、は、
 どうやって生きるのか、と、
 ほとんど同じ意味になって来ます。


金もうけや貯蓄、支出、金銭の授受や貸し借り、
 財産遺贈などが正しく行われているかどうかを見れば、
 その人の人格の完成度もおおよその見当がつくのである。

 (ヘンリー・テーラー『人生ノート』)166

※お金の問題をクリアできているかどうか、
 一人前と認めてもらえるかどうかの分かれ目。

 まだまだです。
 とりあえずがんばって働いて、
 いろんな問題をひとつずつ解決していきます。


『将来の利益のために現在の満足を犠牲にする』という克己の精神は、
 学ぼうとしてもそう簡単に身につくわけではない。
」168

※常に先を見つめる。
 だからうまくいく、とは限らないが、
 先を見つめて行動するのは基本だと思います。


勤勉、倹約、節制そして誠実という美徳を実践することだ。
 不自由に縛られた不満だらけの生活から抜け出すには、
 この四つの美徳を実行する意外に近道はない。

 (政治家ジョン・ブライト)170

※勤勉、倹約、節約、誠実という言葉は、
 一見、不自由さを思わせますが、
 実は、この言葉の向こう側にこそ、
 本当の自由が隠されている。


金を倹約して使うというのは、
 すぐれた人格者の基礎となる資質……
 すなわち分別や先見性や克己心を備えている証拠だ。
」172

※倹約は、子供のころから染みついているので、
 さほど困難には感じません。

 ただし、いろんなことに興味をもって、
 なんでも試したい、と思う性格でもあるので、

 欲望は限りないもの、
 と自分を言いくるめて、
 ほどほどのところで折り合いをつけるようにしています。

 両親に感謝します。


貯蓄は困窮に対する砦である。
 貯蓄によってわれわれは生活の足場を固められるし、
 暮らし向きが好転するまで希望を失わず快活に生きていける。
」173

※使わなければ貯まります。
 とくに若いうちや、
 新しくものごとを始めたときは、
 我慢するのが当然と思って、
 お金が貯まるのを待ちます。
 数年なら貯金だけでも生活できるくらい貯めておくと、
 いろんなことに余裕を持って取り組めるようになります。

 最初の我慢が肝心です。


常に困窮すれすれの生活にあえいでいるのは、
 奴隷の身の上にほとんど変わらない。
」173

※仕事が定まるまでに、
 ほんの十年ほど、浪人生活を送ったおかげで
 お金のないことがいかに苦しいことなのか、
 身にしみて知ることができました。
 よい経験をしました。が、
 もう一度そうしたいとは思いません。


人は誰でも、
 分相応の暮らしをするように工夫しなければならない。
 それは誠実な生き方の証でもある。
」174

※一生懸命生きましょう。
 どうせいつかは死ぬのですから、
 あとあと後悔しないように、
 できるかぎり誠実に生きようと思います。

ほんとうの敵は世間ではなく自分自身の中にいる。
 自分自身すら味方にできない人間に、
 誰があえて手を差し伸べたりするのだろうか?
」175

※自分に負けない。
 世の中の多くの問題は、
 ほんとうは自分の中の問題であることが多い。

 周りが何をいっても、
 自分がそれでよければ何も問題ではない。

 自分の中に基準を持って、
 ブレない人間になりたい。


人から借金しなければ手に入らないような楽しみなど、
 絶対に求めてはならない。
 断じて金を借りるな。
 借金は人を堕落させる。

 (画家ヘイドン)177

※借金は悪、という認識を忘れない。
 とくに自分の欲望をかなえるための借金は
 絶対にしない。

 そのことは、親から子へ、
 一番伝えておかないといけないことでしょう。


貧乏は幸福を脅かす大敵だ。
 それは自由を破壊し、時には美徳をも麻痺させる。
 つましい生活さえできれば、心には平安が訪れ、他人にも恩恵を与えられる。
 自らにも救いが必要な人間に他人を救えるわけがない。
 十分な貯えを得て初めて、人にそれを分け与えられるのだ。

 (サミュエル・ジョンソン)178

※貧乏にならない努力をする。
 人の欲は限りのないものなので、
 分相応をわきまえる。

 貧乏であれば、
 絶対に不幸になるわけではないし、
 貧乏な中で、幸せな生活を保つことは
 そんなに困難なことでもありません。

 とはいえ、あえて自分から
 貧乏な生活を選ぶ必要はないわけですし、
 実際、ふつうの生活すら維持できない程の貧乏は、
 若い一時期をのぞいて、
 できるだけしない方がいいでしょう。

 ほどほどの生活を維持していけるくらいの
 収入と貯蓄が維持できるように、
 自分の人生を考えておきたいものです。


小銭に気をくばれば大金はおのずと貯まる
勤勉は幸福の母
労苦なければ益もなし
楽をするには汗をかけ
働き者に福がくる
浮世はがまんと努力しだい
(世界各国のことわざ)185

怠け者よ、アリのところへ行け。そしてそのやり方から知恵を学べ
正直者の勤勉な手は富をつくり出す
黄金よりも知恵を求めよ。知恵はルビーにまさる。
 この世に望み得るすべてでさえ、知恵には比ぶべくもない。

 (ソロモンの箴言)186

まともな仕事を持っていれば、恥入る必要などない。
 正業に就いていない人間こそが恥を知るべきなのだ。

 (フラー)188

※働こう。
 仕事を選り好みするのでなく、
 縁のあった仕事で力いっぱいがんばってみる。

 ただそうはいっても、
 いろいろとこだわりのあるのが人間なので、
 自分の興味のあることで仕事ができるとは限りません。

 そういう現実とどう向き合うか、
 現実に壁に当たってみると、
 それほど簡単に割り切れるものでないことも事実でしょう。

 それでも、
 もう働かなくたっていいや、
 というところには逃げない。


最高の快楽や富、権力、地位、栄誉や名声を得たとしても、
 それは人生における最大の成功ではない。
 むしろ、最高の人間性を獲得し、
 他人の役に立つ仕事に打ちこみ、
 人間としての義務を果たしていくことこそ、
 いちばん立派な生き方なのだ。
」194

※これならば、と思える仕事に出会えて、
 その仕事に打ち込んで、
 ほどほどのお金を稼ぐことができたなら、
 それは確かに、この上なく幸せなことだと思います。

 人生仕事がすべてではありませんが、
 仕事が人生の大部分を占めていることも確かです。

 どんな仕事について、
 どのようにお金を稼いで、
 どのように生活を維持していくのか、
 ということについて、

 わりと早い時期から、
 いろいろと考え、
 体験させる機会があってもいいような気がしています。

2011年3月29日火曜日

『自助論』6章~時間の知恵

日々、意味のある濃い時間を過ごせたらいいな、
と思います。



スマイルズ著、竹内均訳『自助論』
(三笠書房 知的生きかた文庫、2002年4月改訂新板)より抜粋。

6章 時間の知恵

いかなる職業でも、
 有益な人間になるには次の三つが欠かせない。
 それは天性と勉強、そして実践だ。

 (ギリシアの古い格言)132

※天性は、できるだけ肯定的に、
 黙って受け入れる他ないものでしょう。
 しかし勉強と実践は、自分の努力でどうにかなることです。
 そこでがんばるか、がんばらないか。


最短の近道はたいていの場合、いちばん悪い道だ。
 だから最善の道を通りたければ、
 多少なりとも回り道をしなくてはならない。
』133

※程度にも寄ります。
 わざわざとんでもない遠回りをするのは
 良くないことでしょう。

 要はそれが最善の道であるかどうかを常に考える。
 やみくもにつきすすんでも、
 あまり良いことはありません。


自分の道は自分で切り拓け。
 飢えようと飢えまいと、
 すべては自分自身の努力にかかっている。

 (メルボーン)134

※まずは自分。
 自分でどうしたいのか。
 自分がどうしたいのかをよく考えて、
 一つずつ努力を重ねていくことを
 忘れないようにしたい。


勤勉は人間を前進させ、個性を引き出し、他人の行動をも刺激する。
 万人が同じように立身出世できるわけではないが、
 全体として人はそれぞれの努力に応じて向上を遂げるものなのだ。
」134

※勤勉に生きること。
 前進するには、勤勉さが必要です。
 個性が引き出されるには、日々の勤勉さが必要です。
 勤勉な生き方は、他人にもよい刺激を与えます。

 立身出世は
 時の運にもよるので、上手くいかないこともあるが、
 勤勉な生き方は、人格をそれぞれに向上させる作用がある。


実際のところ、
 努力は個人の進歩や一国の文明の発展の根幹を成している。
 努力もせずにどんな願いでもかなえられるとしたら、
 人は何も望まず、それを得ようと必死になることすらないだろう。
 それは呪うべき最悪の生き方である。
」136

※努力しよう。
 願いをかなえるためには、
 努力が必要だ。
 個人が進歩するには、
 不断な努力が必要だ。
 努力のないところに発展はない。

 その分、
 努力がまったく報われないように感じられるとき、
 そんな時期が訪れたときに、
 どう生きるのかが問われます。

 一年や二年なら、
 と思っていたところで、
 三年、五年の努力が報われない状況が続いたとき、

 十年、二十年と努力が報われない状況が続いたとき、

 五十年、六十年と、果ては一生、
 努力が報われない状況が続くとしたら、
 人は努力し続けられるのでしょうか。

 おそらくそれほどの根気は、
 ふつう持ちあわせていないでしょう。

 どこかで見切りをつけて、
 リセットして、次の人生を歩き出す知恵も、
 必要となることがあります。


いつも自分の不幸を嘆いている連中の多くは、
 自らの怠惰や不始末、無分別、
 そして努力不足のしっぺ返しを受けているにすぎない。
」138

※努力した上の結果であれば、
 それ以上どうしようもなかったのであるから、嘆かない。
 後から嘆く程度のことは、はじめからしない。

 自分の行為の責任は、自分でとる。


どんなに長所があっても、
 家の中に閉じこもってチャンスの到来を待ちわびているだけではお話にならない。
』139

※家にひきこもっていて、
 向こうからチャンスが訪れることは、
 確かにありえないと思います。

 まず一歩、前に出てみる勇気。
 その積み重ねが必要です。


どんなビジネスにも、
 それを効率よく運営するのに欠かせない原則が六つある。
 それは、注意力、勤勉、正確さ、手際のよさ、時間厳守、そして迅速さである。
」140

※注意力、勤勉、正確さ、手際のよさ、時間厳守、迅速さ、
 どれも大切なことです。
 でも忘れがちなことです。
 日々読み返し、音読することで、
 自分に少しは変化があることを期待しています。


失われた富は勤勉によって元通りにできるかもしれない。
 失われた知識は勉学によって補充でき、
 失われた健康は節制や薬で取り戻せるかもしれない。
 だが、失われた時間だけは永遠に戻ってこないのだ。
」148

※時間は大事。大切に使おう。
 十年くらいをひとまとめにして考えれば、
 富はある程度形作ることができます。
 知識も相当蓄えることができます。
 健康もそれなりに。

 でも確かに時間は、
 一人につき八十年もあれば多い方でしょう。
 七、八十年の人生をどのように使っていくか。

 死んだら終わりなので、
 死ぬまでは精一杯がんばります。


ビジネスほど、人柄の善し悪しがきびしく問われる分野はない。
 そこでは、正直かどうか、
 自己犠牲の精神にあふれているかどうか、
 公正かつ誠実に行動できるかどうか、
 などが厳格なふるいにかけられる。
」161

※仕事で鍛えられることは多い。
 迷っているときは、とりあえず
 縁のあるところで働き出してみると、
 いろいろわかって来ることがあります。

 人は現実を受け入れないと、
 先に進んでいけません。
 まず何より、生きることが大切です。
 前を向いて生きていると、
 いろいろな新しい出来事が私を支え、
 持ち上げてくれるものです。


人間は、
 いっとき成功から見離されたとしても
 誠実さだけは守り通さねばならない。
 品性を堕落させるくらいなら全財産を失うほうがまだましである。
 なぜなら、品性それ自体がすぐれた財産だから……。
」163

※これは大切な言葉ですが、
 成功から見放されて、本当に追い込まれてくると、
 なかなか思い出せなくなるのも事実です。

 愛情ある家族に包まれていれば、
 どうにかなる部分も多いのですが、
 ひとり孤独な状態で、
 生きるのも嫌になっている状態で、
 財産も底をつきかけている状態で、

 どのように自分の品性を保ちうるのか、
 それはなかなか難しいことです。

 やはりまず働いて、
 経済的な基盤を整えて、
 安定した生活を送れるようになってこそ、
 人間の誠実さも取り戻されるのではないでしょうか。

 しっかり働きます。

2011年3月28日月曜日

マザー・テレサ『日々のことば』3月

ジャヤ・チャリハ&エドワード・レ・ジョリー編、いなます みかこ訳
『マザー・テレサ 日々のことば』
(女子パウロ会、2009年11月。初出は2000年6月)より。
※印は栗木によるコメントです。

◆3月4日
もしほんとうに愛したいのなら、
 ゆるすことを学ばなければなりません。
 ゆるし、そして、ゆるしを請うこと。
 責めるのではなく、ゆるしますと言うこと。

 まず和解し、一致しましょう、
 他の人たちとではなく、まず自分と。
 それは、自分の中に清い心を持つことから始まります。

 清い心は、
 他の人々の中におられる神を見ることができるからです。
 わたしたちは、神の愛を輝かさなければなりません。
」76

※平穏な心は、ゆるすことから。
 心の怒りは、ゆるすことで穏やかになります。

 ゆるせるかどうかは、
 基本的に、自分の心の問題です。

 自分が、ゆるせるかどうかは、
 相手が決めることではありません。

 平穏な心、
 穏やかな日常を手に入れるために、
 ゆるせるのかどうか、

 状況によっては、
 すぐにゆるせないこともあるでしょう。

 とはいえ、
 平穏な心は、
 自分の努力によってかなりの部分
 手に入れられることを知っておきたいです。


◆3月5日
だれでも、あなたのところにきた人が、
 前よりもっと気分よく、
 もっと幸せな気持ちで帰ることができるように。
 あなたの顔やまなざし、あなたのほほえみに、
 親切を見ることができますように。

 喜びは、わたしたちのまなざしに、
 ことばや振る舞いにあらわれます。
 それは決して隠すことはできません。
 それは外に作用します。
 喜びは、とても伝わりやすいものなのですよ。
」77

※喜びを大切にし、
 喜びに包まれた生活を送りたい。

 それはわたしの顔に、
 まなざしにすぐに現れるものです。

 疲れていると、
 どうしても笑顔がへってしまいますから、
 なんだか笑えないな、
 と思ったら、それをふつうだと思わないで、

 にっこり微笑むことができるように、
 たっぷり休息をとって、
 体を休めるように心がけたいです。

 わたしと出会う人たちにとって、
 何となく明るく朗らかな雰囲気を伝えられるように、
 日々元気でいたいものです。


◆3月9日
『あなたの目を開いて、その目でしっかり見てください。』
 飢えは、食べ物がないことだけではありません。
 今この世界には、
 愛を知らないことの〈飢え〉、
 神のみ言葉への〈飢え〉があります。

 裸なのは、着る物についてだけではありません。
 裸であるということは、
 人間としての尊厳を失うことなのです。
 清らかさという美しい人間の徳を失うことなのです。

 これらのことは、
 今日の世界でとても間違って使われています。
」81

※心の飢え、とは、
 愛情への飢えなんですよ、
 とハッキリ言っていただくと、
 ああそうか、と納得できます。

 愛情を欠いた人間は、
 心がはだかの状態におかれているから、
 人間の尊厳すら失っているのだ、
 とまで言われると、
 ことの重大さに気がつかされます。

 人が自分のよい側面を出していくためには、
 自分の心がほどほどに、
 愛情で満たされている必要がある、
 ということです。

 愛情ほど、
 大切なものはない、
 ということです。


◆3月19日
もし、あなたが謙虚であるなら、
 何ごともあなたの心を汚さないでしょう。
 もし、あなたが聖人であるなら、
 神に感謝しなさい。
 もし、あなたが罪人であるなら、
 そのままでいてはいけません。
」93

※謙虚が、
 すべての基本であること。

 それは学校では、
 あまり教えられないことかもしれません。

 勉強にせよ、部活動にせよ、
 人より抜きん出ることを求められることが
 多かったようです。

 謙虚であることによって、
 何より、自分の心を冷静にながめて、
 正しい判断を下すことができます。

 謙虚であることの重要性は、
 恐らく家庭の中で、
 しっかり植えつけておかなければならないことでしょう。


◆3月27日
もし、ほんとうに祈りたいのなら、
 まず聴くことを学ばなければなりません。
 心の静けさの中で神は語りかけられるのです。
 そして、その静けさがわかり、神を聴くことができるには、
 清い心が必要なのです。

 さあ、わたしたちに語りかけられる神に耳を傾けましょう。
 まず聴くことができなければ、
 神との関係ができなければ、
 神に話しかけることはできません。

 心が深く神に満たされると、
 自然と言葉や思いが、わき出てくるのです。
」101

※祈ることは、
 つい願うことだと勘違いしがちですが、
 神さまにあれもこれもとお願いするのは、
 お祈りではありません。

 静かに自分の心の声に耳を傾けることが、
 祈ることだと思います。

 まず聴くこと。
 それが大切です。

 とはいえ、
 知らない誰かが、
 突然語りかけてくるわけではありません。

 自分の心の静けさを、
 よく感じとることが、
 心の声を聴くことなんだ、と思います。

 そしてしばらく、
 そうした静けさに心をただよわせていると、
 自ずから、いろいろな答えが見つけ出されて来るものです。


◆3月29日
自分自身を知ると、
 ひざまずきたいような気持ちになります。
 そしてそれは、
 愛するために、まさに必要なことなのです。

 神を知ることは、愛を与え、
 自分を知ることは、謙虚さを与えます。
」103

※自分自身の、
 無力を知ること。
 限界を知ること。

 冷静になれば、
 この広い世界のなかで、
 自分が無力であることは明らかでしょう。
 限界がすぐそこにあることもわかります。

 謙虚な心とは、
 世界のありのままの現実を、
 自分でよく感じとるところから生まれるのです。

2011年3月26日土曜日

『自助論』5章~意志と活力

快活さを失わない範囲で、
強い意志を示すことは大切だと思います。



サミュエル・スマイルズ著、竹内均訳
『自助論』(三笠書房 知的生き方文庫)より。
※印は栗木によるコメントです。

5章 意志と活力

活力を高め充実させることは非常に重要だ。
 価値ある目標を追求しようとする決意は、
 人間のあらゆるすぐれた特性の土台を成している。」102

※活力とは、元気と言い換えてもいいでしょうか。
 元気がないと、何も始まらない。
 元気があるから、決断できる。

 忙しいと、
 自分が元気があるのかないのか、
 わからなくなりがちです。

 ものすごく疲れているな、
 と感じた時は、思い切ってお休みする勇気も必要です。

 本当は疲れているのに、
 元気に見せかける、というのではいけないわけで、
 毎日しっかり休んで、
 気力を充実させるサイクルを、
 生活の中に取り入れていきたい。


どんな分野であれ、
 成功に必要なのは秀でた才能ではなく決意だ。
 あくまで精一杯努力しようとする意志の力だ。」103

※才能があっても、
 元気がなくて、決断できなくて、
 努力もしない人が、成功するだろうか?
 まずは前に進もうとする、意志の力が必要です。


私が唯一正しい教えを受けたのは、
 世間という学校である。
 そこでは”艱難辛苦”という
 厳格で高貴な教師にめぐりあった。
 (地質学者ヒュー・ミュラー)104

※我々は現実の中で生きる他ないわけですから、
 現実の「世間」で生きるための智恵は、
 それなりに必要です。
 また机上で考えた正しさよりも、
 世間で教えられる正しさのほうが、
 真実をついていることは多いものです。

真に価値ある目標は、
 勇猛果敢に取り組まなければ成就できるものではない。
 人間の成長はひとえに、困難と戦おうとする意志の力、
 すなわち努力いかんにかかっている。」105

※心とからだがほどほどに健康でなければ、
 ひとつの物事を成し遂げるのは難しいものです。

 この一線をこえたら、自分の心と体のバランスがこわれて、
 元気が無くなって、いい仕事ができなくなる、
 という一線を、自分で把握できるようにしておくことは、
 とても大切だと思います。

 自分の心とからだにとって無理だと思ったら、
 まだ自分で制御が効くうちに、
 心とからだを休めてあげることが大切です。

 ただし、その決断は、
 人によって意外に難しいものかもしれません。


あなたは、
 望めばどんなものにでもなれる。(中略)
 だが、謙譲や忍耐、節度や寛大さを身につけたい
 と強く願わない限りは、
 何を望んでもかなえられはしないだろう。
 (ある聖者の口ぐせ)106

※謙譲、忍耐、節度、寛大。
 心に元気が満タンであれば、
 こうした心の持ちようはむしろ気持ちの良いもので、
 ますます元気になって来ます。

 そんな元気な心で、
 さまざまな事柄に立ち向かっていけば、
 おおよそのことは確かに解決できると思います。


意志を持って生きるというのは、
 われわれにはいちばん身につけやすい習慣だ。
 だから、強く確固たる意志を持つよう努力しなさい。
 (フランスの宗教家ラムネ)108

※自分の人生を、自分で楽しく生きてくこと。
 それが一番最初。

 そこから少しずつ、
 周りへの思いやり、愛情へと広がっていく。
 意志を持って生きるとは、
 自分の人生を楽しく生きることでもある。


人間の意志というものは、
 方向などおかまいなくしゃにむに突き進んでいこうとする。
 したがって、意志に正しい目標を与え、
 適切な方向に舵をとるようにするのが肝心だ。」109

「『私にはわからない』『できっこない』『無理なことだ』……
 これらの言葉を、彼はとりわけ忌み嫌った。
 そしていつも、『学べ、行なえ、試みよ!』と叫び続けたのである。
 (ロシアの武将スワーロー)110

※後ろ向きの考え方が、
 よい結果をもたらさないことは、
 ふつうに理解できることなのですが、

 実際に、自分の人生で、
 悪いことが立て続けにおこっているときに、
 後ろ向きの考え方にとらわれないでいることは、
 なかなか難しいものです。

 悪いサイクルを断ち切るために、
 まず考え方から変えることができるか。

 それはずいぶん大変なことですが、
 前向きの考え方をするのに、
 お金はいりません。
 薬もいりません。

 いるのは自分の勇気です。
 前向きの考え方をする、勇気がもてるかどうか、
 そこが分かれ目だと思います。


最高に真実なる知恵は、毅然とした決断なり。
 (ナポレオンの好んだ格言)111

※ただただ優柔不断で、
 決められない状態になる方は、
 組織のリーダーには向かないでしょう。


強者と弱者の違い、
 偉人と取るに足りない人間との違いは、
 その人間が旺盛な活力と
 不屈の決意を持っているかどうかにかかっている。
 ひとたび目標が定まったら、
 あとは勝利か死のいずれかしかない……
 そう断じ切る決意が大切なのだ。
 (下院議員ファウエル・バクストン)127

※決断することは、
 失敗したときの責任を背負うことですから、
 負ける覚悟をもてない方は、
 延々と、決断を避けるようになるでしょう。

 負けたときの覚悟をもつ上で、
 たった一人になってしまったとしても、
 支えてくれる誰かがいる人は、
 その分強いでしょう。

 人はなかなか、
 たった一人の孤独には勝てないものです。

 日々元気でいて、
 必要な決断を下し続けることは、
 なかなか楽しいことでもあります。

2011年3月23日水曜日

マザーテレサ『日々のことば』2月



ジャヤ・チャリハ&エドワード・レ・ジョリー編、いなますみかこ訳
『マザー・テレサ 日々のことば』(女子パウロ会、2009年11月)より。
※印は、栗木によるコメントです。

◆2月2日
愛は、愛するというだけでは、
 何も残すことができません。
 それだけでは意味がないのです。
 愛は、行為に表れるものです。
 そして、その行為は奉仕です。

 愛のほんとうの意味は、
 神との結びつきからでなければ、わかることができません。
 その神との結びつきから、
 家族への愛、周りの人たちへの愛、貧しい人たちへの愛、
 これらが自然に身を結ぶのです。
」41

※この言葉を逆にたどると、

 奉仕という行為は、
 愛がなければ、
 成り立つものではありません。

 無償の愛、といいますが、
 自然とみずからを奉仕へとかりたてるものが、
 愛である、ということです。

 そんな愛情にあふれた人間に、
 わたしはなれるでしょうか。
 でもできるかぎり、
 そうありたいと思います。


◆2月6日
心から喜んで『与える人』は、
 人々に、すばらしい恵みを与えることのできる人です。
 快活さは、寛容で、自分を抑えることができる人の特徴です。

 自分が行うすべてのことを、
 神をお喜ばせすることに集中し、
 自分自身を含めたすべてのことを、
 忘れることのできる人です。

 快活さは、
 しばしば犠牲をささげる生活を覆い隠すマントであり、
 神との絶え間ない一致そのものなのです。
」45

※どんなことにおいても、
 明朗さ、快活さ、は大切だと思います。
 快活さがすべてを運んでくる、
 といっても言い過ぎではないでしょう。

 ですから、
 日々の生活に疲れてしまって、
 明朗、快活になれない自分、
 自然にほほえむことができない自分
 が出てきた時には、

 できるだけ早く気がついて、
 対応できるようにしておきたいものです。

 どうでも良いこととして
 ほうっておくと、いつの間にか
 心に余裕がなくなって、
 快活さ、明朗さを失って、

 誰にも見せたくない、嫌な自分、
 残念な自分が、心を支配するようになるでしょう。

 人はだれでも悪魔になれます。
 そうならないような生活を送ることが大切です。


◆2月8日
だれかを傷つけたとわかったら、
 まず先に謝る人になりましょう。

 わたしたちはゆるし合うことが必要だ、とわからなければ、
 人をゆるすことはできません。
 この、ゆるすことこそが、愛の始まりなのです。
」47

※ふだんから、誰かを傷つけたい、
 と思って生きている人は
 あまりいないはずなので、

 たまたま誰かを傷つけてしまったときに、
 自分が驚き、あわてて、言い繕ってしまって、
 まずあやまる、という大切なことを
 忘れてしまいがちです。

 でもこちらから謝って、
 許してもらうという経験は、
 不完全なわたしを認める、という意味で、
 とても大切なことだと思います。


◆2月10日
思いやりのある行為へのもっとも確かな近道は、
 言葉を使うことです。

 ただし、他人へのよいことのために使いましょう。
 もしあなたが、人のことをよく考えるのならば、
 人についてもよく話すようになるでしょう。

 言葉の暴力はとても恐ろしいものです。
 どんなナイフよりも鋭く人を傷つけます。
 言葉によって傷つき生まれた悲痛な苦しみは、
 神の恵み以外には、癒すことはできません。
」50

※思いやりのある行為として、
 声をかけることは、いちばん確かなことです。 

 しかしそれは心からのものでないと、
 相手にうまく伝わらないことが多いです。

 ふだん人のことを悪い方にばかり考えているのに、
 とっさの時に、思いやりのある言葉がかけられるはずがありません。

 声かけは大切ですが、
 それ以上に、
 自分の心を美しく保つことのほうが大切です。

 相手への思いやりとは、
 健全なわたしの心から、
 自然にあふれだすものでありたいと思います。


◆2月16日
今日の人々は、愛に飢えています。
 愛だけが、孤独とひどい貧困に対する唯一の答えとなるのです。
 
 飢える心配をする必要のない国もあります。
 けれど人々は、ひどい孤独とひどい絶望、
 ひどい恐怖心にさいなまれています。
 彼らは、だれからも求められていないという、
 拒絶される悲しみと、
 救いようもなく、希望のかけらもない気持ちを感じているのです。

 こういう人たちは、ほほえむことすら忘れてしまっています。
 そして、人間同士のふれあいの美しさも忘れてしまっています。
 人の愛など、とうの昔に忘れ去っています。
 こうした人たちには、彼らのことをわかろうとし、
 大切にしてくれる、だれかが必要なのです。
」57

※幸せでないと感じる一番の要因は、
 愛情の欠如です。

 それは少し考えてみれば、
 誰にでもわかることでしょう。

 孤独で誰からも愛されていない、
 たった一人の状態で、

 人は楽しく、喜びに満ちた生活を
 送ることができるでしょうか。

 わたしは誰からも必要とされていない、
 と毎日感じながら、楽しく生きていくことは、
 なかなか困難なことだと思います。

 すべてのもとになるのが、
 愛情に満たされた心であることは、間違いないでしょう。

 それがあれば、
 とりあえず、大体の困難は、
 困難ではなくなります。


◆2月24・25日
アッシジのフランシスコの平和の祈りを唱えましょう。
 この祈りが、わたしたち自身のものとなりますように。
 
 主よ、わたしを、あなたの平和の道具としてください。
 憎しみのあるところに、愛を、
 不当な扱いのあるところに、ゆるしを、
 分裂のあるところに、和解を、
 誤りのあるところに、真実を、
 疑いのあるところに、信頼を、
 絶望のあるところに、希望を、
 闇のあるところに、光を、
 悲しみのあるところに喜びを、
 もたらすことができますように。

 主よ、どうかわたしに、慰められるよりも慰めることを、
 理解されるよりも理解することを、
 愛されるよりも愛することを、
 人々にもたらすことを求めさせてください。
 自分を忘れることによって、ゆるされ、
 死ぬことによって永遠の命に生きるのですから。
 アーメン。
」67

※祈りの大切さ。

 私の心の弱さを、
 いろんな方面から救い上げてくれるのが祈りです。

 ポキリと折れてしまいそうなところで、
 今一歩踏み止まる力を与えてくれるのが祈りです。

 傲慢になりそうな私の心を、
 落ち着かせ、戒めてくれるのが祈りです。

 私はキリスト教徒ではありませんが、
 祈ることが大切なのは、
 どんな宗教にでもいえることでしょう。

 日々、南無阿弥陀仏と唱える生活が、
 わたしにとっての日常的な祈りの時間です。

2011年3月22日火曜日

『自助論』4章~仕事

私も努力しよう。



サミュエル・スマイルズ著、竹内均訳
『自助論』(三笠書房知的生き方文庫)より抜粋。



4章 仕事

すぐれた芸術も、他のあらゆる分野と同じように、
 骨身を惜しまぬ努力の果てにのみ得られる。
 みごとな絵画にせよ、気品あふれた彫刻にせよ、
 偶然の産物からはほど遠い。」83

※偶然の産物で、
 本当にすぐれた仕事ができあがることは
 確かにありません。

 一に努力、ニに努力、
 三四も五六もすべて努力。

 それを続けていく中で、
 時折、よい流れをつかむことができれば、
 私は運がいい、と思い込むようにしています。

 努力が大前提だと思います。


絵画にしろ他のどんな芸術にしろ、
 卓越した芸術を生み出そうと意を決したなら、
 朝起きてから夜の眠りにつくまで全精神をそこに傾けなければいけない。
(画家レーノルズの手紙の一部)84

※何ごとにせよ、
 手抜きをして、
 ひとかどの仕事を成し遂げることは
 できないでしょう。

 我々の魂をゆさぶる結果を手に入れるまでに、
 常人の百倍の努力がそそぎ込まれていることを
 忘れてはなりません。


苦労の果てに勝ち得たものこそ本物」87
常に最善をつくし、一歩でも二歩でも前進せよ」89
成功を決意し、努力の結果に自信を持つこと」93

※苦労せずに、
 よい結果を勝ち取ろうとするのは
 精神の堕落でしょう。

 常に最善をつくすこと、
 前を向いて少しずつでも先に進んでいくこと、

 心身ともに健康でなければ、
 そうした努力を続けることは難しいでしょう。

 逆にいえば、
 こうした心持ちになれないときは、
 休息を必要としているのかもしれません。


自分の成功は、
 天賦の才というよりはむしろ地をはうようなねばり強い努力のたまものだ。
 私の絵が上達した理由は、たった一言でいい表わせる。
 つまり、たゆまず努力したからだ。
  (風俗画家デビッド・ウィルキー)94

※天才というものは、
 確かに存在するでしょう。

 でもしかし、天賦の才だけで、
 社会的な成功にまでたどりつけることは、
 ほとんどないでしょう。

 やはり、
 人一倍のねばり強い努力は
 絶対に必要な条件だと思います。


口達者も種まきくらいはできるのかもしれない。
 だがいつの世も、
 熟した実をもぎ取るのは不言実行型の人間なのだ。」95

※有言実行が、
 一番かっこいいと思います。

 でも自分にはとても真似できないと思って、
 少なくとも、不言実行ではあるように心がけています。

 何となく、日本のサムライを連想しますが、
 すぐれた徳性は、世界に共通するものだと信じたいです。


諸君が天性の才能に恵まれているなら、
 勤勉がそれをさらに高めるだろう。
 もし恵まれていないとしても、
 勤勉がそれに取って代わるだろう。
  (画家レーノルズ)96

※何かしらすぐれた、
 天賦の才を持ち合わせていた場合でも、
 勤勉の習慣を身につけていなければ、
 必ずしも社会的に成功するとは限らないでしょう。

 もし自分には、
 何らすぐれた才能がないことを自覚するのであれば、
 少なくとも勤勉の習慣だけは、
 若いうちに身につけておく必要がある。


神に頼るとはなんたることだ、
 自らの力で自らを助けたまえ。
  (ベートーベン)99

※神さま、仏さま、ご先祖さまに捧げるのは
 感謝の言葉のみ。

 でありたい。

 正直なところ、
 時々、弱さをつぶやいて、
 いかん、いかん、と思い直すこともあります。

2011年3月21日月曜日

マザー・テレサ『日々のことば』1月

私はキリスト教徒ではありませんが、
マザー・テレサの言葉は、私の弱い心を励まし、勇気づけてくれます。


ジャヤ・チャリハ&エドワード・レ・ジョリー編、いなます みかこ訳
『マザー・テレサ 日々のことば』(女子パウロ会、2009年11月)より。
※印は栗木によるコメントです。


◆1月4日
わたしたちが気がつかなくてはならない、大事なことがあります。
 ほんとうの意味で愛するということは、
 傷つくということなのです。

 事実、他の人たちを傷つけないで彼らに善いことをするためには、
 それが、わたしから何かを奪うことであっても、
 喜んで与えなくてはならないのです。
 このことは、
 傷つくまで与えることを、喜んで受け入れるよう要求します。

 そうでなければ、
 わたしの中にはほんとうの愛は存在しないということになり、
 周りの人たちに、平和でなく、不正をしてしまうのです。
」9

※愛するとは、
 自分が傷つくことを前提としている。

 とても深い指摘だと思います。

 自分が傷つくまで、
 喜んで相手に与えられるかどうか。

 それはやはり、
 まず自分にとって一番身近な、
 家族に対してどうなのか、が
 問われているのだと思います。

 嫌々では、
 相手にとってもありがたくありません。

 ただ愛する、
 といってもその内容は人それぞれであったりしますから、

 たとえ自分が傷ついても、
 喜んで、相手のためにできるのかどうか。
 大切な視点だと思います。


◆1月7日
すべては、祈りから始まります。
 愛する心を神にお願いすることなしには、
 愛する心を持つことはできないし、
 たとえ人を愛することができるとしても、
 ほんのちょっぴりでしかないでしょう。

 それはまるで、
 今日人々が貧しい人たちについて、たくさんのことを言いますが、
 貧しい人たちのことを知りもしないし、
 彼らに話しかけたこともない、というのと同じようなものです。
 わたしたちもまた、どう祈るのかをわかりもしないで、
 祈りについて多くを語ることはできません。
」13

※祈ることなしに、
 自分と向き合うことなしに、
 愛する心を実感することはできないでしょう。

 祈ることで、
 自らの心を整理し、
 自分の心と向き合って、
 愛するということを感じとるのです。

 祈ることについて、
 それを馬鹿にして、遠ざける風潮があるかもしれませんが、
 それはどう考えても誤りです。

 気分のままに
 生き、死に、犯し、犯される、殺し殺される世界に生きる
 野蛮人であることが理想ならば、

 祈る必要はないでしょう。

 でも愛情にあふれた、やさしい心を手に入れる上で、
 祈ることは基本です。


◆1月19日
この世界には、
 肉体的、物質的、そして精神的な多くの苦しみがあります。
 苦しみのあるものについては、
 他人の欲深さを責めることができるでしょう。
 肉体的、精神的な苦しみは、
 飢えや、帰る家がないこと、さまざまな病気からくる苦しみです。

 けれど、もっと大きな苦しみは、
 だれもそばにいてくれない、孤独で愛されていないことなのです。
 だれからも愛されないこと、
 これこそが、人類が経験することの中で、
 最悪の病気だということを、
 わたしはますます確信するようになりました。
」26

※肉体的、精神的なさまざまな苦しみの中で、
 もっとも大きな苦しみは、
 誰からも愛されない苦しみである。

 この指摘は、その通りだと思います。

 ただし、たったひとりで
 孤独の中で生きたことがある人でないと、
 今一つ実感はできないかもしれません。

 でも人は、
 本当に孤独になると、
 心の平静がたもてなくなり、
 正気を失って、
 ふつうに生きていくことが非常に困難になります。

 孤独であるそのこと自体が、
 苦しくて苦しくて仕方がないのです。

 でもそこから逃れたいと強く願うからこそ、
 人間としての新しい発展があるのだろうな、
 とも思います。


◆1月23日
謙虚であるということは、
 つねに神の偉大さと栄光の光を放っているということです。
 謙虚であることを通して、
 愛することができる人に成長するのです。
 謙虚さは、聖性の始まりです。
」30

※謙虚であることが大切なのは、
 当然わかっているはずのことですが、
 ちょっとした瞬間に、
 時々うっかり足を踏み外してしまいがちです。

 でも社会勉強で、
 いろいろな失敗を重ねていくうちに、
 謙虚であることの大切さが、
 身にしみてわかって来ました。

 でもやっぱり
 ついつい忘れがちなことですから、
 日々、自分に対して、
 謙虚であれ、と語りかけ続けたいと思います。


◆1月29日
家庭の外で人々にほほえむのは、たやすいことです。
 あまりよく知らない人をお世話することは、
 実はとてもやさしいことなのです。

 あなたの家の中で毎日会っている家族を、
 思いやりをもって、
 優しく、ほほえみを忘れずに愛しつづけることは、
 とてもむずかしいことです。

 時に疲れていたり、イライラしていたり、
 機嫌が悪かったりするときは、なおさらです。
 だれにでも、そんなときがあります。
 そんなときこそ、苦しむ姿のうちに救い主が、
 わたしたちのところにきておられるのです。
」36

※これはよく思い当たることではないでしょうか。

 外でニコニコして、
 無理してたまったストレスを、
 家に帰ってから家族にぶつけること。

 本来は、
 もっとも味方になってくれているはずの家族に対して、
 外であったイライラをぶつけてしまうこと。

 すぐに止めるべきことなのは、
 誰にも異論はないでしょう。

 でも大切なのは、それを実践できるのか、
 どうかです。

 思いやり、優しさ、ほほえみは、
 家族に対してこそ、持ち続けたいと思います。


◆1月30日
真の愛は、いつも傷つきます。
 人を愛することや、人と別れることは痛みを伴います。
 あなたは彼らのために、
 死ななければならないかもしれません。

 人々は結婚するとき、
 お互いのためにすべてを捨てます。
 子どもを産むとき、
 母親は苦しみます。

 それでこそわたしたちは、
 ほんとうに愛することができるのです。
 『愛』という言葉は誤解され、間違って使われています。
」37

※自分を傷つけても、
 自分の命を捨てても、
 相手を守りたいと思う感情を
 愛情といいます。

 とてもわかりやすい定義です。

 ただそんな愛情は、
 誰にでも抱ける感情ではありません。

 右を見ても、
 左を見ても愛しています、
 というのは、恐らく嘘があるのではないでしょうか。

 家族だからこそ、
 抱ける感情だと思います。

2011年3月18日金曜日

『自助論』3章~好機、再び来らず

ものごとを進めていく上で、
タイミングって大切だと思います。



◎サミュエルズ著、竹内均訳『自助論』(知的生き方文庫)より。
※印は栗木のコメントです。

3章 好機、再び来らず

偶然のなりゆきで
 偉大な業績が生まれるためしはめったにない。
」53

※偶然に期待しない。
 良い流れの中で、
 こつこととした努力を積み重ねることが、
 大切なのだと思います。


真にすぐれた仕事をする人間は、
 絶えずものごとに熱中し、
 骨身を惜しまず努力を続けている。
」54

※熱中し、努力すること。
 何ごとにも努力は必要。

 努力が引き出されるのは、
 対象になるものに熱中しているから。

 子どもが何に熱中するのか、
 その適性を見出して、
 うまくそこに導いていけるか。

 半分は、親の責任でしょう。


偶然のできごとと呼ばれるものの大部分は、
 実は天才的な努力の末に勝ち取られたものなのだ。
」56

※まず努力。
 他を圧倒する努力のつみかさねが先にあって、

 時々、その人にしかない、独創的な
 ひらめきが生まれるのだと思います。


思慮の浅い人間には何も見えなくても、
 聡明な洞察力を身につけた人間は目の前の事物に深く立ち入り、
 その奥に横たわる真理にまで到達できる。
」58

※洞察力、五感を養うこと。

 どれかに偏重すると、
 その道に秀でることはできるかもしれませんが、
 深い洞察力を身につけることまではできません。

 読書に親しみ、
 芸術(文学、音楽、美術)に親しみ、
 それでいて、現実の社会生活をそつなく送ることは、

 誰にでも出来ることではないですが、
 目標にはしておきたいです。


『下手の道具選び』といわれるように、
 立派な成果を生むのは器具の善し悪しではなく、
 その人自身の熟練した技術とねばり強さなのである。
」63

※まずその人をみる。

 道具も大切ですが、
 とりあえず今あるもので、
 最善の努力をするしかないことも
 少なくありません。

 人それぞれこだわりはあるものですが、
 私のこだわりの目で、
 相手を決めつけることがないように、
 気をつけたいものです。


チャンスは、いつもわれわれの手の届くところで待っている。
 問題は、それを機敏にとらえて実行に踏み出すかどうかなのだ。
」68

※鈍重にかまえていて、
 チャンスが向こうからやって来ることは、
 絶対にない、と心得ておくべきでしょう。

 まず自分から努力することが、
 何より大切です。


時間とは消滅するものなり。
 かくしてその罪はわれらにあり

 (オックスフォードのオール・ソウルズ・カレッジの日時計の銘文)71

※若いときはピンと来ない。
 でも今を大切に精一杯生きることが大切です。

 40が近づいてくると、
 人生半分は生きたことになるので、
 その先、終わりのことも、
 何となくわかるようになって来ました。


心に浮かんだ考えや見聞きした事実は、
 必ず書き留めておく習慣をつけるべきだ。
 そのほうが強く印象に残り、重要なことを忘れずにすむ。
」72

※ブログをつけてみて、
 そう感じます。人間は忘れる生物なので、
 何かに記録する習慣はもった方がよいと思います。

 あまりプライベートなことは書けませんが、
 自分の考えを少しずつ固めていくのには
 とても役立ちます。


真にすぐれた人間は、
 他人の評価などにあまり重きを置かない。
 自分の本分を誠心誠意果たして良心が満足すれば、
 それが彼らにとっては無常の喜びとなるのだ。
」73

※自分の中に座標軸をもっているか、どうか。
 大人になるまでに自分なりのブレない座標軸を持てるとよいが、
 もてなく、あっちにふらふら、こっちにふらふらしがちなのが人間です。


考えてばかりいないで実践してみなさい。
 ただし、忍耐強く正確にやってみることだ。

 (名医ジョン・ハンター)76

※その通りです。

 決断はする方ですが、
 少し時期が遅れ気味になるので、
 その点、気をつけています。

2011年3月17日木曜日

『自助論』2章~忍耐

忍耐は、基本でしょう。

ただし限りのある人生、
五百年、六百年と生きられるわけではないので、
見切りをつける時期を知ることも、
大切だと思います。



サミュエルズ著、竹内均訳『自助論』
(三笠書房 知的生き方文庫、2002年4月改訂新版)より。
※印は栗木によるコメントです。

2章 忍耐

常識に明るく、辛抱強い人間になること」31

※辛抱強くは基本。
 ただし常識を失わない程度に。

 常識に明るく、
 という前提条件がつくのは重要なことです。


天才とは常識の権化である」32

※努力の積み重ねがあってこそ。

 幸か不幸か、
 私はどう考えても天才ではないので、
 努力あるのみです。

 ただしかし、
 常識的な努力の積み重ねの先に、
 天才と呼ばれる方々の域に近づくことができれば、
 幸いです。


天才とは忍耐なり」32

※人並み以上に忍耐できるかどうか。

 たとえ天才の域に近づけなかったとしても、
 数年の忍耐は必要です。

 十年をこえる忍耐は、
 かえって意固地になるところが出てくるので、
 数年くらいで見切りをつけていくのが良いようです。


いずれにせよ、
 勤勉と努力がすばらしい成果を生み出すことはまちがいない。
 しかも天才と賞賛される人物ほど、
 必ずといっていいくらいねばり強い努力家なのである。
」34

※勤勉と努力なくして手に入れたものと、
 勤勉と努力のすえにようやく手に入れたものと、
 どちらが自分にとってありがたいか、
 深い喜びを得られるのか。 

 自分自身の幸せのために、
 勤勉と努力はあると考えられるようにしたい。


いくら才気あふれた人間でも、移り気で忍耐力に欠けていれば、
 才能に恵まれなくともひたすら努力する人間には負けてしまう。
」36

※才気だけでは、
 とても一生はもたない。

 忍耐強く努力できる習慣は、
 子どものうちに是非とも身につけられるように、
 できるだけの注意は払っておきたい。


快活さを失わず努力することは、
 成功と幸福への土台となる。
 明朗快活な気持ちで実直に仕事をこなしていくのは、
 おそらく人生の無常の喜びであろう。
」39

※これも重要な指摘だと思います。

 実直な努力は何より大切ですが、
 苦虫を噛み潰したような面持ちで、
 努力することは、あまりよい結果をもたらさないことが多いです。

 努力は、
 明るく朗らかな心持ちを保ちながら、
 続けることが大切です。

 明るく朗らかな笑顔になれること。
 これはとても大切です。

 自分の心に問いかけて、
 どうしても笑顔になれないことに対して、
 無理をして努力を続ければ、

 自分の心と体を
 ボロボロに壊してしまう結果に終わるでしょう。

 ただ努力すれば良い、
 というわけではありません。


どんな逆境にあっても希望を失ってはならない。
 いったん希望を失えば、
 何ものをもってしてもそれに代えることはできない。
」41

※希望を失っていることに、
 無頓着であってはならない。

 希望を失っても、
 人は生きられないわけではありません。

 不平ばかりいいながら、
 笑顔を忘れて、生きていくことも可能です。

 しかしやはり、
 希望を失わない人生のほうが、
 何百倍も充実していて、
 楽しくて、幸せだと思います。

 私はそう思います。


秩序立てて仕事をできない人間は
 才能の四分の三を浪費している
」47

※才能だけでは早晩息切れする。
 日々の勉強の積み重ねを、
 かたちあるものに変えていく。
 仕事力を高めよう。


『勤勉』を味方にしている人間は強い。」49

※まずは勤勉であること。
 これを身につけていると、
 確かに強いかもしれません。

 ただ一人になっても、
 結局は勤勉な毎日を再開することが、
 次への足がかりとなるわけですから、

 勤勉であることは強いと思います。


人は、正しい知識が多くなればなるほど
 うぬぼれの心が消えていくものなのだ。
」52

※自らのおごりの気持ちが、
 自然と消えていくようなかたちで、
 勉強が出来ているか。

 ふつうは知識がふえればふえるほど、
 人はおごりやすくなります。

 でもそれは誤っているんだよ、
 と気がつける人はあまりいません。

 自分がおごっている、
 と自覚できる人も、まずいません。

 自分は違う、と思いながら、
 実はおごっているのです。

 そこを気がつけるかどうか。

2011年3月15日火曜日

杉田久信『奇跡の百人一首』

この春から、百人一首の暗唱に取り組んでいます。

きっかけになったのが



杉田久信
『奇跡の百人一首 音読・暗唱で能力がグングン伸びる』
(祥伝社黄金文庫、H22年12月)

です。

百首まとめて音読しても10分程度だよ、

という指摘に、意外と時間はかからないんだ、
私もやってみようと思い、取り組み始めました。


まずは百首まとめて無心でひたすら30回ほど音読してから、

次は10首ずつまとめて、
上の句のみをみながら下の句をそらんじて言えるように練習して来ました。

最近40首までなら、上の句をみながら、
下の句がスラスラ出て来るようになって来たので、
次は50首までの暗唱に取り組んでいます。

ただそれだけのことですが、

古典の暗唱って、意外に楽しいものだなあ、

と思う、今日この頃です。

『自助論』1章~自助の精神

スマイルズの『自助論』を読み返しています。

40が近づいてきて、
ようやく当たり前のことが
心に響くようになって来ました。

まだまだ遅くはない、と信じつつ。



サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles)著、竹内均 訳
『自助論(Self-Help, with Illustrations of Character and Conduct)』
(知的生き方文庫、2002年4月改訂新版)より、抜粋。


1章 自助の精神

人生は自分の手でしか開けない!」11


※外的な要因がかなり影響するにせよ、
 まずは自分が動き出さないと、何も始まりません。


大切なのは一生懸命働いて節制に努め、
 人生の目的をまじめに追求していくことだ。
」17

※基本はまじめでありたい。


人間は、読書ではなく労働によって自己を完成させる。」19

※本の虫である、私にとって大切な言葉です。


多くの場合」「困難は逆に人を助ける。」20


※あれっ、何か大変だな、どうしよう、これはヤバいかも、
 と思ったときに、こう言い聞かせている自分がいます。


人間の優劣は、
 その人がどれだけ精一杯努力してきたかで決まる。
 怠け者は、どんな分野にしろ、
 すぐれた業績を上げることなどとうていできない。
」23

※努力って大切。


どんな分野でも、目標をめざして
 精一杯努力しなければすぐれた業績は上がらない。
」24


人間は、多かれ少なかれ、
 他人の援助や支えなしでは生きていけないのだ。
」29

※まず自分の努力が大切なのですが、
 自分一人では何もできないことも忘れないようにしたい。