2024年1月23日火曜日

ヴェルヌ著『二年間の休暇 (十五少年漂流記)』日本語訳の変遷 (2)

◆森田思軒訳『十五少年』の成立

 フランスの小説家 ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne, 1828-1905)が1888年に執筆した小説Deux Ans de Vacances  (二年間の休暇)は、雑誌『Le Magasin d’éducation et de récréation (教育娯楽雑誌)』の第553~576号(1888-1/1~12/15)に掲載されたのち、単行本はJ・へッツェル社(J.Hetzel )から、1888年6月18日と11月8日に2分冊(351+342頁)の普及版が、同年11月19日に1冊(469頁)の豪華版(挿絵92枚)が刊行された。

 本邦初訳は、森田思軒(もりたしけん、1861~1897)氏によって行われた。森田氏は1896年に雑誌『少年世界』第2巻5~19号(博文館、1896年3~10月)に〈冒険奇談〉十五少年と題して15回に分けて連載したのち、同年12月に十五少年と題した単行本を刊行した(博文館、1896年12月◇292頁)。雑誌掲載時の表題と巻号、発行年月日は以下の通り。

  「〈冒険奇談〉十五少年/思軒居士/第一回」(第2巻5号、1896-3/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/思軒居士/第二回」(同巻6号、同-3/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第三回」(同巻7号、同-4/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第四回」(同巻8号、同-4/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第五回」(同巻9号、同-5/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第六回」(同巻10号、同-5/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第七回」(同巻11号、同-6/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第八回」(同巻12号、同-6/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第九回」(同巻13号、同-7/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十回」(同巻14号、同-7/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十一回」(同巻15号、同-8/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十二回」(同巻16号、同-8/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十三回」(同巻17号、同-9/1)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十四回」(同巻18号、同-9/15)
  「〈冒険奇談〉十五少年/森田思軒/第十五回」(同巻19号、同-10/1)

 単行本『十五少年』への例言に「是篇は仏国ジユウールスヴエルヌの著はす所『二個年間の学校休暇』を、英訳に由りて、重訳したるなり」とあるところから、森田訳がフランス語原本ではなく英訳本からの重訳であったことは初めから知られていた。しかし英訳本テキストについての細かい情報を欠いていたため、森田氏がどの英訳本を見たのかは長らく不明とされた。半世紀以上をへた1950年、波多野完治(はたのかんじ、1945-2001)氏によって、森田訳の英訳本テキストが確定された。森田氏が用いたのは、フランス語原本の刊行から3ヶ月後、1889年2月16日に、A Two Years Vacation  (二年間の休暇)と題し、アメリカの 「George Munro」 社から「Seaside Library Pocket Edition 」 の1冊として刊行された英訳本である(全1冊260頁)。
 
★思軒訳『十五少年』は、戦前において『現代日本文学全集33 少年文学集』(改造社、1928年3月◇566頁)、『明治大正文学全集8 黒岩涙香・森田思軒』(春陽堂、1929年3月◇756頁)に再録された他、岩波文庫(1938年10月)にも収録された。戦後においては『明治文学全集95明治少年文学集』(筑摩書房、1970年2月◇472頁)、『日本児童文学大系2 若松賤子集・森田思軒集・桜井鴎村集』(ほるぷ出版、1977年11月◇510頁)、長山靖生(なぎゃまやすお)編『少年小説大系13 森田思軒・村井弦斎集』(三一書房、1996年2月◇641頁)等に再録された。


◆思軒訳『十五少年』現代語訳の時代(その一、1910年代)

  ①葛原【凵+茲】女屋秀彦『〈絶島探検〉十五少年』(1916)
    →葛原【凵+茲】『十五少年絶島探検』(1923)
  ②富士川海人「十五少年の漂流」(1918?-1921? )
      ※「〈十五少年〉漂流記」の初見

 1896年に思軒訳『十五少年』が刊行されてから1950年代に入るまでは、ヴェルヌが執筆したフランス語原本が入手困難であったばかりか、思軒が参照した英訳本も所在不明になっていたため、時代に合わせた新訳を提供しようとすると、漢文調の思軒訳をもとにして現代語に訳しなおす他なかった。これからしばらく、「思軒訳『十五少年』現代語訳の時代」と称して、各年代ごとに、今回確認できた範囲の現代語訳を紹介していく。

 最初の現代語訳は、思軒訳から20年をへた1916年に刊行された葛原【凵+茲】(くずはらしげる)女屋秀彦(おなやひでひこ)共編『〈絶島探検〉十五少年物語(博文館、1916年9月◇458頁)である。同書は7年後に『十五少年絶島探検』と改題し、葛原個人編として再刊された(博文館、1923年3月◇458頁)。再刊版のほうは国立国会図書館デジタルコレクションに公開され、容易に参照可能である。この再刊版には、自序「『十五少年絶島探検』新訳偶感」と、再刊に寄せての一文「嬉しい事です」が添えられている。一文の冒頭には「七年前に此の本を訳した頃と、今とをくらべて」とあり、末尾に「尚、この本を出すについて、女屋秀彦君の御好意を感謝致します」とある。1916年の初版は、再刊版の一文に言及がある以外、他書への引用も見当たらず、各種検索にもなかなか出て来なかったが、坪谷善四郎編『博文館五十年史 年表』(博文館、1937年6月)の大正5年9月に「〈絶島探検〉十五少年物語葛原【凵+茲】・女屋秀彦」、大正12年3月に「十五少年 絶島探検葛原【凵+茲】」とあるのを確認した。そのほか2023年現在、北海道立図書館と大阪府立中央図書館〈国際児童文学館〉に所蔵されているのを確認済。

 1910年代で今一つ興味深い作品として、富士川海人訳「十五少年の漂流(未完)というものがある。1917年から1922年にかけて海国少年社から発行された雑誌『海国少年』に、「シユール・ベルヌ作/富士川海人訳」の「十五少年の漂流」という作品が連載されている〔★〕。富士川海人なる人物は、「十五少年の漂流」以外に同じ筆名による作品をまったく確認できない。雑誌『海国少年』の大半は所在不明であるが、国立国会図書館デジタルコレクションに5冊分の情報が公開され、そのうち3冊に「十五少年の漂流」が掲載されている。

    ◯第4巻8号(1920年10月)
     「69 有用な植物の発見」「70 深夜に猛獣の来襲」
    ◯第5巻8号(1921年8月)※掲載なし。
    ◯第5巻9号(1921年9月)※掲載なし。
    ◯第5巻10号(1921年10月)
     「87 新太守」「88 湖上のスケート」
    ◯第5巻11号(1921年11月)
     「〈十五少年〉漂流記の漂流(※予定の原稿を落とすことへの釈明文。)

4巻8号(1920年10月)に69・70章、5巻10号(1921年10月)に87・88章が掲載されている。5巻8・9号と連続して掲載がなく、10号で再開されたと思ったら第11号に至って「〈十五少年〉漂流記の漂流」と題する原稿を落とす(漂流させる)ことへの釈明文を掲載している。このあと再開して最終章までたどりついたのか、88章までで中断されのか気になるところであるが、現存する『海国少年』の詳しい調査をしていないので、今後の課題としたい。一点付け加えると、メアリ書房(福井県福井市)の目録に、
 「海国少年 大正7年12月号 第2巻12号 十五少年の漂流/富士川海人」
とあることから、1918年12月までに連載が始まっていたのは確実である。

 なお『海国少年』第5巻11号(1921年11月)に「「〈十五少年〉漂流記の漂流」とあるのが、この作品のことを「十五少年漂流記」と呼んだ初見であることにも注意しておきたい。ただし本作のタイトルはあくまで「十五少年の漂流」であって、原稿を落とすことを「漂流」と言うために、「十五少年」の部分のみ小字で記し、「『十五少年』(という名の)漂流記の漂流」と言い直しただけなので、富士川氏に新しい書名を提起する意図はなかった可能性が高い。よってこれは(一定の留保つきの)初見例と見なしておく。

★『海国少年』の出版年については、田中久徳「旧帝国図書館時代の児童書―歴史と課題―」『参考書士研究』48号(1997年10月)の表8「戦前期の代表的児童雑誌の所蔵状況」を参照した。なお現存する本文の冒頭には、「十五少年の漂流/富士川海人」とあるのみなので、富士川氏単独の編著として発表されたようにも見えるが、『海国少年』5巻10号(1921年10月)裏表紙の目次に「十五少年の漂流(海洋小説)/シユールベルヌ作/富士川海人訳」とあることから、初めからベルヌ作品の翻訳として発表されていたことがわかる。今後「十五少年の漂流」初回発表分が発見されれば、森田思軒訳との関係など、より明確な編集意図がわかるかもしれない。

 

2023年12月14日木曜日

ヴェルヌ著『二年間の休暇 (十五少年漂流記)』日本語訳の変遷 (1)

原著(フランス語)の成立と、最初期の英語訳

 フランスの小説家 ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne, 1828-2/8~1905-3/24)が、60歳のときに執筆した小説二年間の休暇 Deux Ans de Vacancesは、フランスの編集者ピエール=ジュール・エッツェル(Pierre-Jules Hetzel, 1814~1886)が1864年に創刊した文学雑誌『教育娯楽雑誌 Le Magasin d’éducation et de récréation 』の第47巻553号~48巻576号(1888-1/1~12/15)に24回に分けて掲載された。単行本は、同(1888)年6月18日と11月8日に2分冊(351+342頁)の普及版が、同年11月19日に1冊(469頁)の豪華版(挿絵92枚)が、J・へッツェル社(J.Hetzel )から刊行された。挿絵はフランスの画家 レオン・ベネット(Léon Benett, 1839~1916)が担当した。

 初出雑誌の掲載巻号、発行年月日と対応する章及び挿絵の枚数は以下の通り。

  ①第47巻553号(1888-01/01発行)⇒第1章〔挿絵4枚〕
  ②第47巻554号(1888-01/15発行)⇒第2章〔2枚〕
  ③第47巻555号(1888-02/01発行)⇒第3章〔3枚〕
  ④第47巻556号(1888-02/15発行)⇒第4章〔3枚〕
  ⑤第47巻557号(1888-03/01発行)⇒第5章〔3枚〕
  ⑥第47巻558号(1888-03/15発行)⇒第6・7章〔3・3枚〕
  ⑦第47巻559号(1888-04/01発行)⇒第8章〔3枚〕
  ⑧第47巻560号(1888-04/15発行)⇒第9・10章〔1・4枚〕
  ⑨第47巻561号(1888-05/01発行)⇒第11章〔3枚〕
  ⑩第47巻562号(1888-05/15発行)⇒第12章〔4枚/地図1枚〕
  ⑪第47巻563号(1888-06/01発行)⇒第13・14章〔3・0枚〕
  ⑫第47巻564号(1888-06/15発行)⇒第14(承前)・15章〔3・2枚〕
  ⑬第48巻565号(1888-07/01発行)⇒第16章〔5枚〕
  ⑭第48巻566号(1888-07/15発行)⇒第17章〔4枚〕
  ⑮第48巻567号(1888-08/01発行)⇒第18章〔3枚〕
  ⑯第48巻568号(1888-08/15発行)⇒第19章〔4枚〕
  ⑰第48巻569号(1888-09/01発行)⇒第20・21章〔1・3枚〕
  ⑱第48巻570号(1888-09/15発行)⇒第22章〔4枚〕
  ⑲第48巻571号(1888-10/01発行)⇒第23・24章〔3・3枚〕
  ⑳第48巻572号(1888-10/15発行)⇒第25章〔3枚〕
  ㉑第48巻573号(1888-11/01発行)⇒第26章〔3枚〕
  ㉒第48巻574号(1888-11/15発行)⇒第27章〔3枚〕
  ㉓第48巻575号(1888-12/01発行)⇒第28章〔2枚〕
  ㉔第48巻576号(1888-12/15発行)⇒第29・30章〔2・1枚〕

挿絵は合計88枚。同年11月19日に刊行された単行本〔豪華版〕の挿絵は91枚という表示があるが、実物を未見のため、具体的な異同は今後の課題としたい。

★雑誌『Le Magasin d’éducation et de récréation 』 についてはインターネット上の【HathiTrust DIgital Library】上に公開されている画像を参照した(ミネソタ大学所蔵本、第47・48巻)。ただし雑誌を半年分ごとに1冊にまとめる際に、もとの各号の表紙、目次などを削除しているため、これらの画像から、各号の刊行日時を確かめることはできなかった。各号の刊行日時については、【Andreas Fehrmann’s Collectopn Jules Verne】上の研究成果[Pierre-Jules Hetzel: MAGASIN D’ÉDUCATION ET DE RECREATION - Übersicht / Résumé / Summary ]を参照した。このページの存在は、【The Internet Speculative Fiction Database】の項目「Jules Verne][Deux ans de vacances]への引用文献によって知った。単行本についての詳しい書誌も、【The Internet Speculative Fiction Database】の情報を参照した。

 フランス語の小説であるが、日本語訳との関連からいえば、森田思軒(もりたしけん)の手になる本邦初訳十五少年(1896年刊行)が、英訳版からの重訳であったことから、最初期の英訳本についての情報も重要である。

 英語訳は、1888年10月から翌89年6月にかけて、太平洋での漂流 ― 男子学生乗組員たちの奇妙な冒険 Adrift in the Pacific ; or, the strange adventures of a schoolboy crew 』という題で、イギリスの宗教叢書協会(Religious Tract Society)が1879年に創刊した児童雑誌『ボーイズ・オウン・ペーパー The Boy’s Own Paper 』の第11巻508号~543号(1888-10/6~89-6/8)に36回に分けて掲載されたのが初出である。英語への翻訳者は不明。ヴェルヌによる原雑誌への掲載が終了する(88-12/15)2ヶ月前に、すでに英訳が開始されていたことは注目に値する。

  ①第11巻508号(1888-10/06発行) ⇒第01章〔挿絵2枚〕
  ②第11巻509号(1888-10/13発行) ⇒第01章(承前)〔1枚〕
  ③第11巻510号(1888-10/20発行) ⇒第02章〔1枚〕
  ④第11巻511号(1888-10/27発行) ⇒第02章(承前)〔2枚〕
  ⑤第11巻512号(1888-11/03発行) ⇒第03章〔3枚〕
  ⑥第11巻513号(1888-11/10発行) ⇒第04章〔3枚〕
  ⑦第11巻514号(1888-11/17発行) ⇒第05章〔3枚〕
  ⑧第11巻515号(1888-11/24発行) ⇒第06章〔4枚〕
  ⑨第11巻516号(1888-12/01発行) ⇒第07章〔3枚〕
  ⑩第11巻517号(1888-12/08発行) ⇒第08章〔3枚〕
  ⑪第11巻518号(1888-12/15発行) ⇒第09章〔1枚〕
  ⑫第11巻519号(1888-12/22発行) ⇒第10章〔4枚〕
  ⑬第11巻520号(1888-12/29発行) ⇒第11章〔2枚〕
  ⑭第11巻521号(1889-01/05発行) ⇒第12章〔3枚〕
  ⑮第11巻522号(1889-01/12発行) ⇒第12章(承前)〔2枚〕
  ⑯第11巻523号(1889-01/19発行) ⇒第13章〔3枚〕
  ⑰第11巻524号(1889-01/26発行) ⇒第14章〔3枚〕
  ⑱第11巻525号(1889-02/02発行) ⇒第15章〔2枚〕
  ⑲第11巻526号(1889-02/09発行) ⇒第16章〔4枚〕
  ⑳第11巻527号(1889-02/16発行) ⇒第17章〔4枚〕
  ㉑第11巻528号(1889-02/23発行) ⇒第18章〔4枚〕
  ㉒第11巻529号(1889-03/02発行) ⇒第19章〔3枚〕
  ㉓第11巻530号(1889-03/09発行) ⇒第20章〔1枚〕
  ㉔第11巻531号(1889-03/16発行) ⇒第21章〔2枚〕
  ㉕第11巻532号(1889-03/23発行) ⇒第22章〔2枚〕
  ㉖第11巻533号(1889-03/30発行) ⇒第23章〔2枚〕
  ㉗第11巻534号(1889-04/06発行) ⇒第24章〔2枚〕
  ㉘第11巻535号(1889-04/13発行) ⇒第24章(承前)〔2枚〕
  ㉙第11巻536号(1889-04/20発行) ⇒第25章〔4枚〕
  ㉚第11巻537号(1889-04/27発行) ⇒第26章〔3枚〕
  ㉛第11巻538号(1889-05/04発行) ⇒第27章〔2枚〕
  ㉜第11巻539号(1889-05/11発行) ⇒第27章(承前)〔2枚〕
  ㉝第11巻540号(1889-05/18発行) ⇒第28章〔1枚〕
  ㉞第11巻541号(1889-05/25発行) ⇒第28章(承前)〔1枚〕
  ㉟第11巻542号(1889-06/01発行) ⇒第29章〔2枚〕
  ㊱第11巻543号(1889-06/08発行) ⇒第29章(承前)〔2枚〕

最終章のほかは原著と同じ章立てで、原著と同じくレオン・ベネットの挿絵を同じ数(88枚)収録してある。おおむね原著の構成を忠実に伝えているが、後半をこえたあたりから文章の省略が目立つようになり、最終29章は原著の29+30章を一章に圧縮してある。編集方針に一貫性を欠くところがあり、完訳とはいえない。ただその後の英訳版(単行本)と比べると、情報量は最も多いようである(単行本をまだ手元に置けていないので、ほぼ頁数による推測。詳細な校合は今後の課題とする)。

★雑誌『The Boy’s Own Paper 』については、インターネット上の【HathiTrust DIgital Library】に公開されている画像を参照した(カリフォルニア大学所蔵本、第11巻)。1年分の雑誌を1冊にまとめて刊行する際に 『 The Buy’s Own Annual 』と改題されている。

 英語訳の単行本は、1889年2月16日に、アメリカの「George Munro」社から「Seaside Library Pocket Edition」の1冊(260頁)として二年間の休暇 A Two Years Vacation と題して刊行されたのが初出である。英語への翻訳者は不明。原題に近い書名を採用し、上記の雑誌(英訳版)の掲載終了を待たずに(全36回中20回まで掲載中)刊行されていることから、イギリス版とはまったく別に企画された翻訳出版と推測される。ついで1889年11月に、イギリスの「Sampson Low, Marston, Searle & Rivington」社から太平洋での漂流 Adrift in the Pacificと題して刊行された1冊(293頁)が続く。こちらも英語への翻訳者は不明。この版は、雑誌(英訳版)の掲載終了後、5ヶ月をへて刊行された同じ題名の1冊であり、雑誌原稿を単行本としてまとめ直した可能性が高いが、単行本を未見のため、詳しい検討は今後の課題としたい。このイギリス版は、1892年に「Sampson Low, Marston, & Company」社から2冊(151+142頁)に分けて再刊されている他、何度か再刊されているようであるが、詳しくはこちらも調査中である。
★初期の英語訳の単行本は、カナダのヴェルヌ収集家Andrew Nash 氏のホームページ【julesverne.ca】において、表紙の写真を確認した。刊行日時についての情報は、【The Internet Speculative Fiction Database】の項目「Jules Verne][Deux ans de vacances]を参照したが、こちらの典拠は、Stephen Michaluk, Jr. & Brian Taves 両氏編『ジュール・ベルヌ百科事典 The Jules Verne Encyclopedia 』(Scarecrow Press、1996年5月)による。

 一つ気になるのは、【Internet Archive】上に、1889年に 「Sampson Low, Marston, Searle & Rivington 」社から刊行されたという 『Adrift in the Pacific 』 の写真版(ニューヨーク公共図書館所蔵)がアップされていることである(2013年6月公開)。これが上記の1889年11月刊行版と同一のものであれば、研究上大変便利だったのであるが、実際の映像をみると、確かに 『Adrift in the Pacific 』 とはあるが、刊行年の表記はなく、出版社も1889年版を刊行した 「Sampson Low, Marston, Searle & Rivington 」 ではなく「Sampson Low, Marston, & Company 」 とあり、これは1892年版刊行時の出版社名に等しい。何より本文176頁で全19章(1~9章〔101頁〕/10~19章〔75頁〕)に圧縮されていることからして、この写真版は、1892年以降に「Sampson Low, Marston, & Company」から刊行された1889年版(293頁)のさらなる簡略版である可能性が高いように思われる。


  以上をまとめると、最初期の英訳本として確認できるのは、
(A) Adrift in the Pacific ; or, the strange adventures of a schoolboy crew  〔太平洋での漂流 ― 男子学生乗組員たちの奇妙な冒険〕(雑誌The Boy’s Own Paper 』第11巻508~543号、1888年10月~1889年6月)  
(B)A Two Years Vacation  〔二年間の休暇〕(George Munro 社、Seaside Library Pocket Edition、1889年2月) 
(C)Adrift in the Pacific  〔太平洋での漂流〕(Sampson Low, Marston, Searle & Rivington 社、1889年11月)

の3種である。同じ書名を採用していることから(A)をもとに(C)が刊行されたと推測されるが、(A)と(C)では出版社が異なっているので、一応別物と判断しておく。今回残念ながら単行本(B)(C)の本文を参照することができなかったので、今後精査したいと考えている。

 本邦初訳を行った森田思軒が見た英訳本は、単行本『十五少年』の例言で、本書の原題が二個年間の学校休暇であることを指摘していたことから、(B)A Two Years Vacation  〔二年間の休暇であった可能性が高い。このことは波多野完治(はたのかんじ)が、1950年に発表した論文十五少年漂流記の原本(『ニュー・エイジ』〔毎日新聞社〕第2巻7号、1950年7月、71・72頁)において初めて確認された。同論文は翌51年に刊行された波多野完治訳『十五少年漂流記(新潮文庫、1951年11月)の解説の一部に取り入れられているので、誰でも容易に参照できる(現行本〔66刷改版、1990年5月〕では、278~280頁)。

★なお波多野氏は新潮文庫版への解説において、小出正吾(こいでしょうご)氏が、戦後間もなく『十五少年漂流記』の英訳原本の問題について提起されていたことに触れられている。具体的な論文名を挙げていなかったので調べてみると、小出正吾著『十五少年』について(『日本児童文学』第2号、1946年12月、20・21頁)という論文が見つかった。この論文の内容は、小出正吾編『十五少年漂流記(実業之日本社、1948年10月)の「あとがき」(294・295頁)の一部に取り入れられている。同書は「国立国会図書館デジタルコレクション」に映像が公開されているので、容易に参照可能である。


2023年11月5日日曜日

【読了】ヴェルヌ著/私市保彦訳『二年間の休日』(十五少年漂流記)。近状も少し。

 今年からしばらく守りの経営になるはずが、ありがたいことに夏休み前から程よく問い合わせをいただき、休む間もなく対応に追われていました。

 お盆休みに、いずれ読もうと思って「積ん読」状態だった1冊、フランスの作家ヴェルヌ『二年間の休日(十五少年漂流記)』を手に取りました。ふだんは英語で書かれた本(の翻訳)を読むことが多いのですが、ヴェルヌのいくつかの傑作(『海底二万里』『十五少年漂流記』『神秘の島』)は例外。

 一時期、ヴェルヌの小説に独特な、専門用語を書き連ねた冗長な文章に辟易し、いっそ適当に編集した簡略版のほうが良いのかもと思い、程よい長さのものを集めてみました。が、実際手にしてみるとどうも違う。結局、最新の完訳版である私市保彦(きさいちやすひこ)訳『二年間の休暇』(岩波少年文庫)に落ちつきました。


ジュール・ヴェルヌ作
私市保彦(きさいちやすひこ)訳
レオン・ブネット挿絵
『二年間の休日 上・下』
(岩波少年文庫603・604、2012年2月◇349・349頁)

 完訳版は、手元に集英社文庫横塚光雄(よこつかみつお)訳、福音館文庫朝倉剛(あさくらかたし)訳、創元SF文庫荒川裕光(あらかわひろみつ)訳、偕成社文庫大友徳明(おおとものりあき)訳などが置いてありましたが、これらは途中で挫折。今回はじめて何の不満もなく、最後まで読み進めることができました。登場人物が十五人もいると、読んでいて誰がどう動いているのか、焦点が定まらなくなる傾向があるので、そこを乗り越えられるかどうかが分かれ目となります。今回は委細構わず5、6章一気に読み進めたら物語の雰囲気がつかめて、あとは最後まで楽しんで読み終えることができました。

ジュール・ヴェルヌ著
横塚光雄(よこつかみつお)訳
『十五少年漂流記』
(集英社文庫、ジュール・ヴェルヌ・コレクション、2009年4月◇542頁)
 ※もとは『二年間のバカンス ― 十五少年漂流記』(集英社文庫、ジュール・ヴェルヌ・コレクション、1993年9月◇542頁)と題して刊行。単行本の初出は『二年間のバカンス』(集英社コンパクト・ブックス、ヴェルヌ全集5、1967年12月◇373頁)。

ジュール・ベルヌ作
太田大八(おおただいはち)画
朝倉剛(あさくらかたし)訳
『二年間の休暇(上・下)』
(福音館文庫、2002年6月◇311・226頁)
 ※初出の単行本は、福音館古典童話シリーズ1(1968年4月◇525頁)。

ジュール・ヴェルヌ著
荒川浩充(あらかわひろみつ)訳
『十五少年漂流記』
(創元SF文庫、1993年8月◇465頁)

ジュール・ヴェルヌ作
レオン・ブネット挿絵
大友徳明(おおとものりあき)訳
『二年間の休暇(上・下)』
(偕成社文庫、1994年12月◇389・408頁)

 どうせなら今に至るまでの日本語への翻訳を調べておこうと思い、調べ始めたところ、とんでもない分量に驚かされました。大体のところまででも調べておこうと、整理した結果を次のブログから数回に分けて紹介していきます。

   ***

 平安時代「儀式書」研究は停滞気味です。特に誰からも請われない、締切のない原稿を、完成まで持っていく大変さを痛感中。今更焦っても仕方がないので、機が熟するまで放っておくことにしました。次に火がつくまで、たぶんそんなに時間はかからないと思います。

 先月ぼんやりと古書目録を眺めていたところ、神道大系の『江家次第』と『儀式・内裏式』が安く出品されているのに気がついて、すぐに購入しました。手元に届いてみると、2010年に閉校した東京のとある短大の図書館に所蔵されていたものでした。保存状態はあまりよくなかったのですが、元が豪華な装幀なので、研究で使い潰す分には問題ありません、

 これでようやく念願だった神道大系の朝儀祭祀編『儀式・内裏式』『西宮記』『北山抄』『江家次第』を手元に揃えることができました。故実叢書の『西宮記』『北山抄』『江家次第』、尊経閣善本影印集成の『西宮記』『北山抄』『江次第』、宮内庁書陵部本影印集成の『西宮記』と揃えて、大学図書館に入り浸るしかなかった学生時代を思えば夢のよう。

 残るは続神道大系の『侍中群要』と、尊経閣善本影印集成の儀式書の数々を。気長に揃えていきましょう。



2023年5月15日月曜日

【読了】P・L・トラヴァース著/林容吉訳『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(原著1934年/邦訳1954年)

 オーストラリアで生まれ、イギリスで活躍した児童文学作家P・L・トラヴァース(Pamela Lyndon Travers, 1899年8月~1996年4月)氏が、35歳の時(1934年)に刊行された小説『メアリー・ポピンズMary Poppins)を読みました(*1)挿絵はメアリー・シェパード(Mary Shepard, 1909-2000)氏が担当。昨秋読んだA・A・ミルン(Alan Alexander Milne, 1982-1956)『くまのプーさんWinnie-the-Pooh)(1926年刊行)でも挿絵を担当されていたのは記憶に新しいところです。

(*1)『 Mary Poppins 』のイギリス版は1934年1月にジェラルド・ハウ社(Gerald Howe, London)から、アメリカ版は1934年11月にレイナル&ヒッチコック社(Reynal & Hitchcock, NewYork)から出版されました。

P・L・トラヴァース 著
林容吉(はやしようきち)訳
メアリー・シェパード 絵
『風にのってきたメアリー・ポピンズ』
(岩波少年文庫052、新版、2000年7月◇295頁)
 ※旧版は1954年4月。

 今回は、林容吉(はやし ようきち, 1912年10月~1969年12月)氏の翻訳で読みました。林訳は1954年4月に岩波少年文庫から風にのってきたメアリー・ポピンズという邦題で刊行されました。原著には『 Mary Poppins 』とあるだけなので、ほかの邦訳では『メアリ・ポピンズ』『メアリー=ポピンズ』『メリー・ポピンズ』『空からきたメアリー・ポピンズ』などの邦題が採用されています(*2)

(*2)林容吉訳のほかには次の①~⑤の邦訳が出ているようです。
 ①岸田衿子 訳/柏村由利子 絵『メアリ・ポピンズ』(河出書房新社〔少年少女世界の文学8〕1966年12月)所収。岸田訳は (a)『メアリ・ポピンズ』(河出書房新社〔世界文学の玉手箱9〕1993年1月)、および (b) 飯野和好 絵『メアリ・ポピンズ』(サンリオ・ギフト文庫、1976年6月)、および (c) 安野光雅 絵『メアリ・ポピンズ』(朝日出版社、2019年1月)として再録。岸田訳は全12話中第5・7話を省略〔(b・c) の目次を確認。初出訳と (a) は未見〕。

 ②恩地三保子 訳/山名冬児 絵『空からきたメアリー・ポピンズ』(偕成社、少年少女世界名作選19、1968年4月)。曽野綾子 訳/赤坂三好 絵『メアリー=ポピンズ』(学習研究社、少年少女世界文学全集17、1968年5月)所収。曽野訳は、赤坂三好 絵『メアリー=ポピンズ』(学研小学生文庫、1979年4月)として再録。大野芳枝 訳/森国とき彦 絵『空からきたメアリー・ポピンズ』(集英社、マーガレット文庫、1976年8月)。佐山透 訳/わたなべまさこえ 絵『メリー=ポピンズ』(少年少女講談社文庫、1978年11月)。


 林容吉訳はこの後、1965年12月に映画『メアリー・ポピンズMary Poppinsが日本公開されるのに合わせて(米国公開は1964年8月)1963年11月に第2巻『帰ってきたメアリー・ポピンズMary Poppins Comes Back, 1935)が、第1巻(『風にのってきたメアリー・ポピンズ』)と合冊で岩波書店から刊行されました(単行本)。続いて1964年12月には第3巻『とびらをあけるメアリー・ポピンズMary Poppins Opens the Door, 1943)が、1965年11月には第4巻『公園のメアリー・ポピンズMary Poppins in the Park, 1952)が、それぞれ岩波書店から刊行されました(単行本)

 林訳で紹介されたのはここまで。その後 1988年までに第5・6・7・8巻が刊行されたことは今回調べてみるまで知りませんでした。

 第5巻『メアリー・ポピンズ AからZ
        (Mary Poppins from A to Z, 1962)
 第6巻『台所のメアリー・ポピンズ
        (Mary Poppins in the Kitchen, 1975)
 第7巻『さくら通りのメアリー・ポピンズ
        (Mary Poppins in Cherry Tree Lane, 1982)
 第8巻『メアリー・ポピンズとお隣さん
        (Mary Poppins and the House Next Door, 1988)(*3)

(*3)邦訳を1冊ずつ挙げておきます。
 ⑤荒このみ 訳『メアリー・ポピンズ AからZ』(篠崎書林、1984年5月◇126頁)。⑥小宮由・アンダーソン夏代 訳『台所のメアリー・ポピンズ おはなしとお料理ノート』(アニマ・スタジオ、2014年11月◇112頁)。⑦荒このみ 訳『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(篠崎書林、1983年12月◇90頁)。⑧荒このみ 訳『メアリー・ポピンズとお隣さん』(篠崎書林、1989年4月◇90頁)。


 さて肝心の内容ですが、これは大当たり。今から70年近く前の訳文なので、読み始めに少し違和感がありましたが、すぐに気にならなくなりました。メアリー・ポピンズの得難いキャラクターにしだいに惹き込まれ、最後は読み終わるのが惜しくなりました。「鳥のおばさん」「ジョンとバーバラの物語」そして「西風」の美しさといったら!

 よい読後感でしたので、少し時間をおいて第2巻『帰ってきたメアリー・ポピンズMary Poppins Comes Backも読んでみようと思います。 

2023年4月26日水曜日

【読了】佐藤さとる著『だれも知らない小さな国』(1959年刊行)

 童話作家 佐藤さとる(1928年2月-2017年2月)氏が、31歳の時(1959年3月)に発表された傑作ファンタジー小説『だれも知らない小さな国』を読みました。昔から書名は知っていましたが、子供のころは村上勉(むらかみつとむ 1943年- )氏の独特な挿絵に違和感があって、読んだことがありませんでした。ここ最近、外国のファンタジーだけでは物足りなくなって、日本で誰か面白い作品を書かれた方はいないのか探してみたところ、まず思い出されたのが佐藤氏の「コロボックル物語」でした。村上氏の挿絵も、今では味わいのあるものに思えて来たので、とりあえず1冊取り寄せて、読んでみることにしました。

 この作品は、佐藤氏が31歳の時(1959年3月)に私家版(自費出版)で100部刷られたのが初出(*)。すぐに講談社の編集者の目に止まり、同年8月に若菜珪(わかなけい 1921-1995)氏の挿絵、安野光雅(あんのみつまさ 1926-2020)氏のレイアウトで講談社から出版されました。私家版のほうは表紙画があるのみの簡単な作りですが、その表紙画は、佐藤氏自らの下図をもとに友人の画家 木下欣久(きのしたよしひさ)氏が仕上げたものだそうです(**)

(*)「佐藤さとる年表」(佐藤さとる公式WEB〔https://www.k-akatsuki.jp/〕)参照。
(**)函『【私家版復刻】だれも知らない小さな国』(コロボックル書房〔株式会社あかつき出版部〕2013年2月)の裏表紙を参照。

 村上氏が挿絵を担当するようになったのは、1965年9月に刊行された「コロボックル物語」の第3作目『星から落ちた小さな人』(講談社)からのことで、第2作目『豆つぶほどの小さな犬』(講談社、1962年8月)までは若菜氏が挿絵を担当されていました。1969年11月に「コロボックル物語」3冊をまとめて再刊する時に、第1・2作目の挿絵を村上氏のものに差し替えたようです(*)。若菜珪氏の挿絵による版も古本でなら手に入るので、いずれお目にかかりたい。

(*)神奈川近代文学館のホームページ上のパネル文学館「佐藤さとる『コロボックル物語』」掲載の「コロボックル物語 出版の歴史」を参照。それぞれの現物は未見。

 長く親しまれて来た作品なので調べ出すといろいろなバージョンの『だれも知らない小さな国』が出て来ますが、細かくはまた別の機会に取り上げます。今回手にしたのは 1980年11月に刊行された講談社青い鳥文庫です。総ルビではありませんが、やさしめの漢字にもフリガナを振ってあるので、小4くらいからなら読めると思います。

佐藤さとる(著)/村上勉(絵)
『コロボックル物語1 だれも知らない小さな国』
(講談社青い鳥文庫、1980年11月◇245頁)
 ※第85刷〔2012年9月〕

 実際に読んでみると、今から64年前の作品なので、はじめのうち文体が多少ぎこちなく感じられましたが、物語が進むにつれしだいに惹き込まれ、後半にかけて一気に読み進めることができました。あり得ないはずの小さな人々のお話が、あたかもごく身近なありふれた出来事のように上手く描き出されていると思いました。

 このほか次の2つのバージョンも現役で刊行されているようです。

佐藤さとる(著)/村上勉(絵)
『コロボックル物語1 だれも知らない小さな国』
(講談社文庫、2010年11月◇296頁)
 ※講談社文庫版の初出は1973年7月。

佐藤さとる(著)/村上勉(絵)
『新イラスト版 コロボックル物語1 だれも知らない小さな国』
(講談社、2015年10月◇296頁)

 現在までに刊行された様々なバージョンの『だれも知らない小さな国』については、うまく整理できたらまたこちらにアップします。

 良い読後感でしたので、ぜひ続巻も読んでみようと思います。